漱石とエラ・フィッツジェラルド

鬱陶しい雨が上がった後の少しばかり涼しげな空気が立ち込める夕刻に、小1時間ほど暇ができたのでエラ・フィッツジェラルドを聴いた。それも、“ヴァーチュオーゾ”ジョー・パスとの協演盤を。
どんなに忙しいときもゆっくりと音を鑑賞するその時間と余裕は欲しいもの。
こういうものは自分の心掛け次第。意識的に「音を楽しむこと」に注力する。それだけで、砂漠の中のオアシスに出逢うかの如く渇きがみるみる癒され、明日への活力になるのだから音楽の持つ力は真に大きい。

それと一篇の詩、ないしは小説など。
先日、漱石の「明暗」を久しぶりに読み返し、ついでに水村美苗氏の「続明暗」も読んでみた。30年前はまったく理解していなかったことがはっきりわかった。よくよく考えると、テーマそのものが10代の若者に共感をもってわかるはずのないもの。まさに漱石が死を迎えるその年齢に間近になった今になってこそリーチできるもの。それにしても水村氏の続編は見事なものだが、漱石晩年の境地である「則天去私」の精神をお延に託したあたりが意外でもあり、なるほどと唸らせられた。
これを機に漱石作品を今一度再読する試みを始めたが、「草枕」の冒頭一章から後頭部をがつんと殴打されるような衝撃を味わった(グレン・グールドが座右の書とした「草枕」はその時以来の斜め読みだが、それにしても深い)。

閑話休題。件のエラ&ジョーの1枚。

Take Love Easy
Ella Fitzgerald (vo)
Joe Pass (g)

エラとジョーとのこのアルバムは、本当にシンプルで心に沁みる。そもそも録音自体偶然から生まれたものだそうだが(白内障の手術を受けたばかりのエラの体調を鑑みて、負担をかけないようなるべく余計な体力を使わないよう無理なく歌える作品が選ばれた結果のもの)、コルトレーンの「バラード」同様、どんな状況でも天才その人がスタジオに入って音を出したら何とも傑作が生まれるということが証明される名盤だと思う。

何だろう、このジョー・パスの決して主張しない、静けさに満ちたギターの音色は!もちろんそれはエラ・フィッツジェラルドのヴォーカルを前面に押し出すための演出なのだと思うが、ピアノでもなくましてやオーケストラでもなく、一丁のギターによって伴奏される不思議な醍醐味。37分ほどのこのアルバムを今日だけでかれこれ繰り返し5回ほど聴いているが、聴くほどに魅力が増す・・・。
この不滅のジャズ・ミュージックは、まさに病み上がりのエラによる「則天去私」的境地のものだと閃いた。

Easy, easy
Take love easy, easy, easy
Never let your feelings show
Make it breezy, breezy, breezy
Easy come and easy go


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

漱石「明暗」と水村美苗氏の「続明暗」は、一対で文学史に冠たる大傑作になっているのが真に素晴らしいと思います。
男の感性と女の感性が上手く補完し合っていて、まさに最高です。シューマン夫妻やメンデルスゾーン姉弟の作品がそうなっているように・・・。

今は水村美苗氏の新作「母の遺産―新聞小説」を読んでいます。この作品にも、目下入れ込みつつあります。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8D%E3%81%AE%E9%81%BA%E7%94%A3%E2%80%95%E6%96%B0%E8%81%9E%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E6%B0%B4%E6%9D%91-%E7%BE%8E%E8%8B%97/dp/4120043479/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1339016225&sr=1-1

この作家の日本語センスは相変わらず抜群で、余人をもってかえ難いと思っています。むやみに大量生産主義に乗らないのもいいです。

漱石が亡くなったのは1916年(12月)、エラ・フィッツジェラルドが生まれたのはその翌年の1917年(4月)ですが、何か狙ってないですか?(笑)

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>この作家の日本語センスは相変わらず抜群で、余人をもってかえ難い

過日雅之さんに水村さんの「続明暗」を薦められた時、はたと辻邦生氏との往復書簡を朝日新聞紙上で繰り広げられていたことを思い出しました。
僕は若い頃から辻氏の高貴な文体が好きで、だいぶお世話になったのですが、おっしゃるように水村さんも同じく素晴らしいセンスの持ち主ですよね。漱石の文体を真似るという神業はなかなか誰にでもできることではありません。
ご紹介の新作も面白そうですね。ありがとうございます。

>漱石が亡くなったのは1916年(12月)、エラ・フィッツジェラルドが生まれたのはその翌年の1917年(4月)ですが、何か狙ってないですか?

あ、特に狙ったわけじゃないですが、あの頃の世界を俯瞰するのは興味深いですね。
昨日からフォーキン版「火の鳥」&ニジンスキー版「春の祭典」をBDで何度か繰り返し観ておりますが、感激の連続です。ちょうどあの時代のパリで起こった芸術的スキャンダルの再演です。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む