ドビュッシー生誕150周年加納裕生野ピアノリサイタル

何て自然体で、何て生命力に満ちたドビュッシーだろう・・・。
今日は予期せず都立大学を2往復した。定例のトリートメントの後一旦帰宅。そうして久しぶりの加納裕生野さんのリサイタルがあることを知り、急遽参戦した。
ドビュッシーが生きていれば150歳になっていたというちょうどその日に、しかも数年前僕にドビュッシーの魅力を知らせ、ドビュッシーへの扉を開くきっかけをくれた加納裕生野さんの演奏会ならば行かずもがな。無理して行って良かった。

加納裕生野ピアノリサイタル
《ドビュッシー生誕150周年&ピアノ曲全集CD第一弾リリース記念》
2012年8月22日(水)19:15開演
めぐろパーシモンホール・小ホール
・ピアノのために(1896)
・2つのアラベスク(1888)
・ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(1917)
アンコール~
・美しき夕暮れ(ハイフェッツ編曲)
谷口洸(ヴァイオリン)
休憩
・小さな黒人(1909)
・映像第1集(1905)
・映像第2集(1907)
・喜びの島(1904)
アンコール~
・月の光~ベルガマスク組曲
主催:ミュージックスケイプ
後援:一般社団法人全日本ピアノ指導者協会
協力:NGO東京私的演奏協会

最初の「ピアノのために」からもうすっかり虜。何と表現していいか、言葉を選ぶのに困るが、しいて言うなら大きなものに「委ねられた」音楽がただただ鳴り響く、そんな印象。大きなものというのは作曲者自身かもしれないし、あるいは目に見えない力かもしれない、またはほぼ満員の会場に居合わせた聴衆の力かもしれない・・・。ともかくこれほど力が抜け、それでいて華麗で美しく、そして囁きかけるようなドビュッシーは久しぶりに聴いた。そういえば「前奏曲集」を聴いたあの時も同じような気持ちになったかも。

こうやって並べて聴いてみると初期のドビュッシーとエンマとのスキャンダル以降のドビュッシーの作風はこんなにも異なるんだと再確認できる。映像の第1集と第2集の間に横たわる、かくも音楽性の違い!おそらくエンマとの仲が最高潮の時期だった頃と、少しずつ冷え冷えとしてきただろう頃と・・・。ここで一気にドビュッシーの革新性、前衛性が芽吹く。前奏曲集も然りだが、映像も第2集に真髄が見えるかな・・・。

あと、最後の作品であるヴァイオリン・ソナタ!実演では初めて聴いた。異国情緒に溢れたこの音楽には、まだ「生への欲求」が横溢する。とても最後とは思えない情熱と内側で燃え上がる感性と。谷口さんの演奏も素晴らしい。

先日のMusic Door Academicの時同様、ドビュッシーこそが20世紀後半のジャズやロックというポピュラー音楽につながる存在であることを確信した。そもそも各楽曲に付されたネーミング(「水の反映」、「葉ずえを渡る鐘の音」、「そして月は廃寺に降りる」など)がどれも何て粋なんだろうか・・・。


3 COMMENTS

ふみ

裕生野さん、本当に素晴らしいドビュッシーでした。
しかし、実は今日はドビュッシーだけではなく…シュトックハウゼンの誕生日(ぼそっ)

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岡本 浩和

>ふみ君
おはよう。
昨日はお疲れ様でした。
シュトックハウゼンの誕生日だったとは!!
それは知りませんでした・・・。
そんなこと一言も言わなかったじゃない!!(笑)

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