ベルクの懺悔の音楽なり

ここのところ頻繁にアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲を聴いている。
聴けば聴くほど、作曲家の精緻な、一分の隙もない手法に度肝を抜かれるが、隙がない分緊張感も並大抵でなく、一音一音を追って聴くとそれだけで大変なエネルギーを消費する。
それにしても、今更ながら気づいたが、僕はこの世紀の傑作のことを何一つわかっていなかった。多分今までは何となく音を耳でなぞらえ、慣れ親しんだパートだけを聴き、聴いたつもりに、わかったつもりになっていたみたい。
本当ならば、スコアを片手にじっくりと音楽を見ていけば、それだけでかなり理解が深まるものだが、残念ながらベルクのこの作品のミニチュア総譜が手元にない。せいぜい名曲解説全集の類を頼りに今一度音楽の流れを整理して、周りの音を遮断してヘッドフォンで集中して聴き込むくらい。

酷暑の中、久しぶりに新宿御苑を歩いた。そして、いつものベンチに腰かけて小1時間ほどベルクを聴いた。木漏れ日の中でこの作品を聴いて、もちろんこの作品がマノン・グロピウスのために書かれ、それまで愛した女性たちの回想を含む彼の人生の総括が刷り込まれているのだけれど、実はもっと大きなもの、そう、自然や宇宙の叡智を超えるようなものが支配しているのではないかという気がしてきた(音楽というものは結局みんなそうだけれど)。一般には第1楽章は「マノンの音楽的肖像」、第2楽章は前半が「マノンの病との苦闘」、後半が「死の浄化」を表していると解釈されるが、音楽の無から始まり無に帰してゆく様、そして時に激しい不協和音が炸裂し、時に安寧の瞬間が訪れ、しかもそういうことが寄せては引き、引いては寄せという繰り返しに、これはもうアルバン・ベルク一個人のわずか50年の人生を表すというそんな小さなものではなく、全人類が背負ったいわば「業」と、「祈りと共にそれらが消え去ってゆく様」が見事に音化された、そういうものを見た(聴いた)。
なるほど。さすればこれはベルクの懺悔の音楽なんだ・・・。

ベルク:
・ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出に」(1935)
・室内協奏曲―ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための(1923-25)
渡辺玲子(ヴァイオリン)
アンドレア・ルケシーニ(ピアノ)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮ドレスデン・シュターツカペレ

今宵は渡辺玲子のデビュー盤。今は亡きシノーポリとの実況録音。
この前”SOLO”を聴いて、その上手さに感動したばかりだけれど、やっぱりデビュー時から(技術的に)相当の腕前を持った人で、しかもこのベルクの難曲を(僕にとってという意味で)すごくわかりやすく演奏していることにあらためて驚かされた(昔は何となく聴き流していたんだと反省)。特に、第1楽章後半のマリー・ショイヘルを表すケルンテン民謡の色っぽさや第2楽章後半のバッハのコラール引用部分の静かなる高貴さは比類ない(とはいえ、全体を比較するとやっぱり今の僕はファウスト盤を採るかな・・・)。

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