僕の中で大きなパラダイム・シフトが起こっている。独身者ベートーヴェンは女性になど目もくれない偏屈だと信じていた若き日。そして、実はアルコール依存症の父親に育てられ、アダルト・チルドレンでありながら相当な女性遍歴を繰り返したことを知り、単に結婚という形態をとらなかっただけで、相当な「女好き」だったことを知ったとある日。さらに、いわゆる「不滅の恋人への手紙」が、実は暗号文書だったのではないかという衝撃的新説。まさにコペルニクス的転回、そのどれもが相応の信憑性を持ち、ベートーヴェン研究家の血と涙の結晶なのだということがわかるが、人間の研究というのは書くも面白いものだということを再発見する。
J.S.バッハの音楽もモーツァルトの音楽もかけがえのない宝だが、やっぱりベートーヴェンこそが古今東西随一の作曲家であることをあらためて感じている。彼の音楽をひとつひとつじっくりと聴きながら、当時の時代背景を詳細に研究し、この天才が何を感じ、何を想い、音楽を創作していたのかをもっともっと知りたくなった。
例えば、作品55の「エロイカ」交響曲は、フリーメイスンとの関係が明らかである。また、作品57の「熱情」ソナタにおける「運命」の4つの音は、幼少期の父親の拳骨に対する恐怖を表現するものだという。幼い頃に愛情を十分受けられなかった楽聖が、ゆえに大人になった時「自由、平等、博愛」を標榜するフリーメイスンの虜になっただろうことは容易に想像がつく。ならば、その間に位置する作品56の「三重協奏曲」はどうだろう?ベートーヴェンの愚作といわれる音楽である。確かに、いつだったかアルゲリッチらの実演に触れたときも残念ながら感動はできなかった。一般的にはピアノを愛奏するルドルフ大公のために書いたと伝えられているが、果たして本当にそれだけなのか?
「三重協奏曲」は、1804年12月に、ロプコヴィッツ侯爵邸にて「エロイカ」交響曲が公開初演された時、同時に披露されたらしい。ということはかのシンフォニーとほぼ並行して書かれているのだろうから、なお一層深い意味がありそうだ(古山氏の新説では、ベートーヴェンはナポレオンを賞賛こそすれ決して毛嫌いしたわけではなさそうなので、そうなると一般的に知られている「エロイカ」の成立事情すら怪しいものだということになる)。
少しばかりネット・サーフィンをしてみるも、作品56についての真新しい言及はない。ましてや通常の音楽解説書を読んでみても、古びたありふれた見解しか載っていない。となると自分であれこれ勝手に推測するしかないのか・・・。少しばかり熱い夏が続きそうだ・・・。
これは、当時のフランスを代表するソリストたちの怒涛の競演の記録である。互いがピンで勝負しながらそれぞれを引き立たせる結果になっているところが凄い。本来この曲はチェロがポイントになると思うが、若きハイドシェックの力量がはっきりと確認でき、ハイドシェック好きには堪らない。34歳の頃の彼の実演に触れてみたかった、そんな思いに駆られる名演である(マルティノン率いるオーケストラも実に刺激的。この音楽が駄作などではなく、それこそ「エロイカ」に通じる革新性(革新精神)を秘めたものなんだということが理解できる)。
※ラジオのエアチェックがソースのようで、残念ながら音質は決して良いとはいえない。
※一般的には、ソ連を代表する3人のソリストとカラヤンが録音した音盤の評価が高いが、それに比しても決して遜色のない点が見事。
作品56の「三重協奏曲」について。
比較的簡単に書かれているピアノやヴァイオリンのソロが華やかな貴族、技巧的がとんでもなく難しいチェロのソロが、通奏低音として虐げられてきた身分の低い民衆またはナポレオンたちによる自由獲得のための闘いの、それぞれ象徴だとしたら・・・、「自由、平等、博愛」を標榜するフリーメイスンの「3」やナポレオンとの関連で、いろいろな仮説が成り立ちそうです。
ご紹介の盤、聴いてみたいです。
>雅之様
こんにちわ。
>比較的簡単に書かれているピアノやヴァイオリンのソロが華やかな貴族、技巧的がとんでもなく難しいチェロのソロが、通奏低音として虐げられてきた身分の低い民衆またはナポレオンたちによる自由獲得のための闘いの、それぞれ象徴
なるほど、そういう考え方も新鮮ですね。
200年後の我々にはベートーヴェンの真意はわかりっこないと思いますが、いろいろとイマジネーションを刺激してくれるという意味でこの曲に現在はまり中です。