ワーグナーの音楽は理性を失わせる。
かつてパトロンであったバイエルン王ルートヴィヒも「ローエングリン」に打ちのめされ、王に即位するやワーグナーを援護し、財政的にも大変な額を投じ、周囲からは狂王とまでいわれた。第三帝国総統ヒトラーも同じく若い頃「ローエングリン」に卒倒するほど感動し、以来ワーグナー音楽を別格のものと信奉し、自身が政権を掌握した後はその音楽をプロパガンダに上手く利用した。現在は確かその禁は解かれたように記憶するが、つい最近までユダヤ国家であるイスラエルではワーグナー音楽の演奏そのものがタブーとなっていたのは有名な話。
歴史のいろいろはこの際横に置いておくとして、そしてワーグナーの奇天烈で超エゴイスティックな人間性云々は一旦無視することにして、純粋に客観的にその音楽に耳を傾けてみると、やっぱりものすごい感動が湧き起こる。
1950年代の世界の音楽地図を俯瞰してみる。
北米大陸ではマイルス・デイヴィスを中心にモダン・ジャズが新たな局面を迎える。ロックン・ロールの世界ではエルヴィス・プレスリーのデビュー。
南米ではアントニオ・カルロス・ジョビンによるボサノヴァの誕生、あるいはピアソラによる新しいタンゴの発表も。
一方、ヨーロッパでは終戦から10年を経、バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭が活況を呈し、かつての大巨匠たちの有終の美が飾られる。
すべて旧い録音から目一杯のイマジネーションを働かせるしかないが、それでも音楽の天才たちの創造がたった今生れたものであるかのように共有できることが嬉しい。
さて、今宵も1950年代の、ワーグナー演奏が熱かった時代の歌手たちとクナッパーツブッシュとの協演!!
いずれも超名演!それにしても、楽劇のぶつ切りをこれだけ並べられると、クナッパーツブッシュが多くのワーグナー・オペラ全曲を正規録音で残さなかったことが残念でならない。
とはいえ、この音盤の価値は何と言ってもフラグスタートの歌う「ヴェーゼンドンク歌曲集」だろう(最初に聴いたのはもう30年以上前、「ワルキューレ第1幕」とのカップリングで豪華な装丁のアナログ・ボックスだった)。「トリスタン」とほぼ同時期に生み出され、マティルデ・ヴェーゼンドンクとの恋の最中に創作されたこの作品は、マティルデの詩にワーグナーが音楽を付けたもの。嗚呼、胸が圧し潰されそう・・・(笑)
第1曲「天使」
子どもの頃 遠い昔 私はよく天使たちの物語を耳にした
天使たちは天上の尊い歓びを 地上の太陽に換えるという
心が不安におびえ 人知れず悩むとき
そして ひそかに心が血を流し 溢れる涙に消え行こうとするとき
激しく 心の祈りが ひたすら救いを願うとき
その時 天使が下り 心を 優しく天上に引き上げるという
本当に私にも一人の天使が下った そして輝く羽に乗せて
彼はすべての苦痛から遠くに隔てんと 私の精神をいまや天へと導く
フラグスタートもニルソンも(もちろんロンドンも)、涙が出るほど素敵。
岡本さん、何だか絶好調ですね。
ワーグナーを語るのに、ルートヴィヒとヒトラーを持ち出しますか!
いかにも「らしく」て笑いました。
私はワーグナーが嫌いだし(理由はお察しの通りです…笑)、そもそも
音楽を聴いて理性を失ったことがありません。
「純粋に客観的に」音楽を聴いたことなど一度もないだろうと思います。
自分が「聴きたい」か「弾きたい」という主観でしか、音楽と向き合って
いないのでしょうね、きっと。
この何日かの記事は自分がどういう人間か、改めて気付くことが多くて
面白いです。 ありがとうございます!
>みどり様
おはようございます。
いかにも!ですか?!まぁ、「らしい」ですよね(笑)
僕の場合も長らくこうやって記事を書いているわけですから、その時点で客観的じゃないんですがね・・・。
>自分が「聴きたい」か「弾きたい」という主観でしか、音楽と向き合っていないのでしょうね、きっと。
それでも、突然あるでしょう?例えば、街のどこかで流れていた音楽やテレビでふと聴いた音楽に固まってしまうことが。僕の場合、クラシック音楽開眼のきっかけがドラマでショパンを聴いたことやCMのBGMでベームのモーツァルトの40番を聴いたことでした。これはある意味「純粋に客観的に」です。
何も知らなかったあの頃の感性でもう一度聴いてみたいという想いが最近は強いです。