星とたんぽぽとマズルカ

chopin_mazrukas_argerich.jpg第21回「早わかりクラシック音楽講座」終了。今回も、アマチュア・ピアニストの方を初め、Webを見て申し込まれてきた方など、初めて参加の方が多く、とても刺激的で楽しい会になった。例によって詳細はまた後日ホームページにUPする予定だが、ショパンという音楽家の奥深さと、人間誰しも独りで生きているのではなく、誰かの力を得ながら生き永らえているのだということがしみじみと実感させられた3時間であった。わずか39年という短い生涯を駆け抜けていったショパンも、ひょっとするとサンドとの別れがもう少し先延ばしになっていたらばあと数年は長生きし、数多くの名作を残していたのかもしれない。

講座終了後は、ビール片手に手作り菜食料理を皆で楽しむ。メニューは、ベジしゃけの太巻き、ベジ・ラザニア、グリーン・サラダ、車麩のかき揚げ・・・。好評でした。

ところで、今日も講座の中で金子みすゞの童謡を採り上げた。どうもショパン-特に後期の作品を聴くと、僕には金子みすゞの作品がついつい思い出される。当然二人に関連性は全くない。しいていうなら二人とも夭折の天才創造家であったことくらい。それでも彼女の詩を読んでいるとショパンの音楽がぴったり寄り添うように相応しいし、ショパンの音楽を耳にすると金子の詩を思い出すのである。不思議なものだ・・・。

「星とたんぽぽ」
青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

この「星とたんぽぽ」による童謡歌曲を作曲した中田喜直。今日の講座にご参加いただいたともみさんが偶然にもつい先日発表会でこの曲を聴いて感動したのだと。残念ながら僕はこれまでの人生で耳にしたことがない。童謡などと馬鹿にしていたことも災いしているかもしれない。これほどの詩に中田はどんな曲をつけているのだろうか・・・。興味津々、いずれ近いうちに音源を手に入れて聴いてみたいものである。

ちなみに、今日の講座では、愛知とし子にマズルカ作品59-1を弾いてもらった。作曲家が「今は僕の人生の混乱期、というより倦怠期」と手紙に書き綴った1845年の作品。マズルカという故国の舞曲の形式を踏まえながら、行き詰った心境を露わにした晩年の傑作。

ショパン:マズルカ第36番イ短調作品59-1
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

懇親会の終了の合図にこの音盤を聴いてお開きに。かれこれ40年前、アルゲリッチのデビューの頃の録音。この時からすでにアルゲリッチはアルゲリッチ。万感の思いの篭った、愁いあるショパンの響き。完璧です・・・。

※これでしばらくショパンは聴き納め。しばらくは聴かなくていいかな・・・(笑)。

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