ワーグナーをピアノで聴く・・・

5年前に高須博氏のリサイタルに初めて訪れて、その超絶技巧に吃驚仰天、しかもテクニックばかりでなく音楽性満点の演奏にとても満足したことをふと思い出した。その素晴らしさはかつてブログに記事も書いたが、以降毎年今の時期に行われるコンサートに足を運ぼうとするも不運なことにいつも日程が合わず、結局以来一度も高須氏の実演を聴けていないことが残念でならない。
氏のコンサートでは毎回珍しい楽曲が採り上げられる。それは、オペラなどのトランスクリプションものが大半を占め、そういった難曲をいとも簡単に料理し、その場に居合わせる聴衆を魅了し、感動の坩堝に巻き込む。
多分、実際に体験した人でないとその凄さはわからないだろう。
ともかくとても10本の指で奏でられているとは思えない多彩で濃淡の明確な表現が目白押しで、2時間ほどがあっという間に過ぎてしまう。5年前のあの時は最後に「火の鳥」の終曲が披露されたのだが、もはや言葉が出なかった。アンコールのゴドフスキーによる左手のためのショパン「革命」には心底感動した。
今年開催されたリサイタルにも都合つかず、行けなかった。来年こそは、といつも思うのだけれど・・・。

若きゾルタン・コチシュによるワーグナー・オペラのトランスクリプション集を聴いた。どれも素敵だ。高須氏のそれを髣髴とさせる名編曲と名演奏。コチシュ自身がアレンジした「トリスタン」前奏曲や「マイスタージンガー」前奏曲の上手さもさることながら、やっぱりリスト編による諸曲に僕は魅力を感じる。特に「ローエングリン」からの抜粋と「パルジファル」抜粋!!いずれも「聖杯伝説」が基になるワーグナー歌劇の金字塔であることがポイント。この「聖なる」オペラたちの祝典的シーンが1台のピアノで「静かに」語られるところが心を打つ。

ワーグナー:オペラ・トランスクリプション
・歌劇「ローエングリン」~聖堂へ向かうエルザの婚礼と行進(リスト編曲)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲(コチシュ編曲)
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~イゾルデの愛の死(リスト編曲)
・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~前奏曲(コチシュ編曲)
・舞台神聖祝典劇「パルジファル」~祝典行進曲(リスト編曲)
ゾルタン・コチシュ(ピアノ)(1980.9.2-4録音)

「マイスタージンガー」などは最初多重録音かと思ったほど。しかし、れっきとしたピアノ独奏のようだ。華麗なるこの名曲がピアニスト一人の力によって再現されるとき、管弦楽とは違った別の魅力を放つ。それは、単色であるがゆえのコントラストの妙味とでも言おうか。開放的でありながら、どうにも閉鎖された空間を、そして明るい曲調でありながらどこか「陰翳」を。
実際、「ドイツ精神」を謳い上げる背面には「反ユダヤ主義」という側面が刷り込まれており、それが後年ナチスのプロパガンダに利用されたというのは有名な話。
何だかそういうところがよりリアルに感じてしまうのはどういうことだろう?
僕の内面にだけ起こっていることなのかもしれないけれど。


4 COMMENTS

みどり

最後の2行に関する勝手な一考察。

岡本さんは楽曲と対峙する時、「音」そのものを聴くだけでなく、
作曲家や時代背景、世界情勢などについて様々な情報を併せて
ご自身に取り込んでいる。
何も学ばず音だけ聴いてわかった気になるのでも、多少は学んだ
結果として聴かないという選択をするのでもない。
自ら「左脳を使い過ぎる」と仰るほどだから、純粋に「芸術なんだから
作品さえ良ければそれでよい」というような文言に示される通りの
短絡思考はあり得ないと思う。

起きたことを知らないならまだしも、知ってしまっている。
それでも聴くことを選ぶのですから、「?」が付いて回るのは当然です。
もし何かが脳裏を過ったりするのなら、その時は歴史も何も踏まえた
上で、「聴きたいから聴く」と腹を括ればよい話です。

理解しようとする過程を積み重ねるのが岡本さんのスタイルでしょ?
答えを掴めた時の快感があって、いいじゃないですか。
求める努力をしない人は決して手にすることができない喜びですよ。

ご無礼を致しました!

返信する
岡本 浩和

>みどり様
こんにちは。
ご忠告ありがとうございます。

まぁ、音楽作品というのは山下達郎が言うように作曲家の手を離れたら独り歩きしますからね。
その曲が書かれた背景や心情などとっくに飛び越えてしまう可能性もあるわけです。

最後の2行は、「マイスタージンガー」におけるコチシュの編曲と演奏に対する思いですが、ワーグナーの音楽云々ではなく、あのピアノ独奏を聴いて妙にそのコントラストを実感するのはどうしてだろう?という問いでした。
それは僕だけがそう感じることかもしれませんしね、というその程度の文句です。

そこに食いついて来られたことに少々驚きましたが・・・(笑)
よほどワーグナーがお好きじゃないのかと推測したり・・・。
まぁ、しかし、僕の曖昧な書き方も良くないのだと反省します。
とはいえ、過去5年半の記事はどれだけ読んでいただいたかわかりませんが、こういう書き方が僕の特長でもあるのでなかなか文体や構成方法を変えるのは難しいですね。

以前、雅之さんに僕の記事とマーラーの作品との共通性を指摘いただきました。
論理的に破綻していて、まさにコラージュ風だと。
いやあ、確かに!とその時は感動しましたが(笑)

こちらこそ無礼でも何でもありません。
こういうやりとりがまた面白いのです。

答になっているでしょうか?
今後ともよろしくお願いします。

返信する
みどり

十分にお答えいただいていると思います。ありがとうございます。
ただ、「ピアノ独奏を聴いて」というのはわかっておりますので、
こちらの書き方も十二分に曖昧だったということですね。恐縮です。

コントラストを感じるというのは、やはり岡本さんが深く聴こうとなさる
(聴いてしまわれる)からだと思います。
知識があっても関連付けずに聴けるなら、ナチスは出て来ないと
思いますが、先日もヒトラーが出て来てましたから、関連付けて
お聴きになりたいのかしら、寧ろ。
それとも初心者に向けての情報提供も兼ねてでしたか?
そうであれば、私に非があります。

確かにワーグナーは全く好きではありません!(笑)
小学校に入る前から「タンホイザー」や「指環」は聴いてましたけれど。
不粋なまま成人してしまって申し訳ない限りです。

論理的に破綻していると評されて「感動」できるなんて、素晴らしく
度量が大きくていらっしゃるんですね!
私だったら正拳行っちゃうところです(笑)
もしや、マーラーと同列に扱われたことに…とか?
だとしたら、それはそれで凄いことです。ご尊敬申し上げます。

返信する
岡本 浩和

>みどり様

>それとも初心者に向けての情報提供も兼ねてでしたか?

それは確かにそういう意味合いもあります。個人的な感想だけなら何も敢えてそのことを書く必要ありませんから。

>小学校に入る前から「タンホイザー」や「指環」は聴いてましたけれど。

これがいけないです!(笑)早すぎるんですよ。何を生き急いでいたのですか?と問いたいくらいです(笑)。

>度量が大きくていらっしゃるんですね!
>マーラーと同列に扱われたことに…とか?

いやいや、このことは自覚があるんですよ。それに明確にロジカルに書こうともしてませんしね。

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