ノーマン&フィッシャー=ディースカウのブラームス「6つの歌」作品3ほかを聴いて思ふ

brahms_lieder_dieskauジェシー・ノーマンの声も、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの声ももちろん堂に入り素晴らしい。ノーマンの情感込められた歌の意味深さ。そして、どちらかというと知性際立ち、人間味を感じさせないディースカウの洗練された歌。
青年ヨハネス・ブラームスがシューマン家に持ち込んだ楽譜の中には歌曲集もあったわけだが、歌の素晴らしさもさることながら、注目すべきはそのピアノ伴奏部。全編にわたる仄暗く重い雰囲気は、同時期のピアノ・ソナタなどのどちらかというと明快かつ生命力溢れる音楽に対して早「死」を意識したような音調だ。
何より天才ピアニスト、ダニエル・バレンボイムの本領発揮ということで、例えばロベルト・ライニックの詩に曲を付した作品3-1「愛のまこと」の、深く悲しい調べ。打鍵の深さと同じく、フレーズの移ろいの自然さに舌を巻く。やはりバレンボイムはピアニストとして全うすべきではなかったのか。

ただひたすら音楽に耳を傾けあえて言葉の意味など知る必要はないと思うが、ライニックの詩は次のように母子の対話を描いている。

「あなたの苦しみを深い海の中に
沈めてしまうのです、わが子よ!」
「でも石は海底にとどまるけれど、
私の苦しみは絶えず高みへと上って来る」
「あなたが心の中にいだく愛を
折り取ってしまうのです、わが子よ!」
「でも花は折り取られれば、死ぬけれど
まことの愛はそんなに早く死にはしない」
「愛のまこととは言葉に過ぎない。
風と共に去って行く」
「ああ、お母さん、たとえ岩が嵐にくだけようと
私のまことは堪えて行くのです」
詩:ロベルト・ライニック
訳:渡辺護

なるほど、子が母を助けるために、何か大切なことを教えるために生まれてきたのだということを諭されるよう。
ノーマンは母になり子になり、その想いを縦横に表現する。
しかしやはり、ここでも主役はバレンボイム。

ブラームス:歌曲集
・6つの歌作品3
・6つの歌作品6
・6つの歌作品7
・8つの歌とロマンス作品14
・5つの歌作品19
ジェシー・ノーマン(ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

音楽的に僕のお気に入りは、アイヒェンドルフの詩に曲を付けた第6曲「歌曲」(1852年)。
ディースカウの優しい声、第4交響曲の先取りのような旋律と音調。ここにはすでに老練のヨハネスが在る。

梢にざわめく優しい風よ、
遠くより飛び来る小鳥たちよ、
静かな山頂にわく泉よ、教えておくれ。
私の故郷はどこなのだ!

ゆうべ私はまたもや彼女を夢みた。
そしてすべての山から
彼女の挨拶が降りて来るので
私は泣き出してしまった。

ああ、この、異郷の山頂で
人も、泉も、岩も樹も
すべては私には夢のようだ。
詩:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ
訳:渡辺護

「6つの歌」作品6は、滅多に演奏されることのない作品だが、佳品揃い。
第1曲「スペインの歌」はどこかシューベルトの「辻音楽師」の匂いがし、ホフマン・フォン・ファラースレーベンの詩による第5曲「雲が太陽に向かって」はどこかで耳にしたことのある、懐かしい旋律に満ちる。
ここでもノーマンの声に心動かされ、フィッシャー=ディースカウのバリトンに涙がこぼれる。

 

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