自由の飛翔

beethoven_102_maisky_argerich.jpg今週末の「愛知とし子×近藤恵三子コラボレートコンサート」では後半にブラームスとベートーヴェンの音楽が演奏される。いずれも作曲家晩年の様式をもつ類稀な傑作だが、双方に共通するのは、何とも表現し難い透明感と清々しさである。もちろん若い頃に比べ、内容がより哲学的で深淵になっており、歳をとるにつれ人間の魂が一層純化してゆく様を見れるようで非常に興味深い。両巨匠とも数々の恋愛をしながら結局生涯結婚しなかった。独り身で過ごす晩年の寂寥感そしてそれがゆえに逆に人の温かさを求める感情が随所に感じられ、胸がつまされる。ただし、一方で二人の根本的な性格の違いというものも明らかで、そのあたりの比較も実に面白い。外に向かって開放するベートーヴェンに対し、内に内にと沈潜してゆくブラームス。結果、神とつながらんとするベートーヴェンに対しブラームスはあくまで人間っぽさから抜け切れない。どちらが良いとかという問題ではないが、ひょっとするとブラームスがベートーヴェンを超えられなかった理由のひとつはこのあたりにあるのかもしれない(超えられなかったとすること自体僕の勝手な独断だが)。

11月11日ぞろ目の日。朝から激しい雨が降る。鬱陶しいが気持ちよい。特別な日だ。

今回のコンサートで披露される楽聖の後期の入口に位置する作品101のソナタ。このところ毎日のように聴いているゆえ、ついついその旋律が耳から離れなくなっている。深淵でありながらも、この後1820年代に生み出される孤高の諸作と違い、いわゆる中期のドラマ性をあわせもつところが嬉しい。そう、一粒で二度美味しいのである。この音楽は1816年に作曲されているが、その近辺の作品を聴こうと、前年1815年に作られた2つのチェロ・ソナタを久しぶりに取り出した。

ベートーヴェン:2つのチェロ・ソナタ作品102
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

渋い。ベートーヴェンのチェロ・ソナタといえば第3番イ長調作品69が飛び切り有名で、この作品102は舞台でもあまり演奏されないので、残念ながら一般的にはあまり知られていまい。ともかく楽聖の作品の中では顧みられることの少ない音楽である。しかしながら、深い幻想性と簡潔にまとめられた中に見られるこの「自由の飛翔」こそ、その前数年のスランプを脱出し、神の境地にのぼりつめてゆくベートーヴェンのある意味記念すべきスタート地点の一つであると僕は思うのだ。

本当はもっとストイックな演奏が相応しいと思うのだが、いかんせんマイスキー&アルゲリッチ・コンビの演奏は艶かしい。その点が欠点といえば欠点だが(贅沢だけど)、これくらい開けっ広げで翔んだ演奏も稀だから、そういう意味で最良としておこう。何やかんや言いながら僕は好きな演奏。

いかにありのままの自分を表現できるか。どんな時でも臆せず、思ったことが正直に伝えられる人は強い。どんな職業に就くにせよ、求められるものは相応のスキルと誰からも好かれる「人間力」。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
作品102-1と102-2、簡素にして深い内省、後期への入口への素晴らしい作品です。
行間の含蓄に富んでいます。
と言いつつ、今朝はあえていつもと反対側の観点から、私の大好きな後期ベートーヴェン作品の否定を試みてみましょう(笑)。
我々40代の働きざかりの現役世代男性が、あまり観念論的で枯れた後期ベートーヴェン作品の世界にどっぷりつかるのは不健康、絶対やめたほうがいいです。
もっと死ぬまで欲望ギラギラでいかなくっちゃ・・・(笑)。
今生きるために必要なことは、抽象的な机上の観念論より、弁証法的な、例えば「暗」を「明」にするための「具体策」です! 観念はもういいから、「具体的に」社会に対して何を貢献することができるかが、最も重要な喫緊の課題なのです!
また、欲望は生きる源です。
「暮れてなお 命の限り 蝉(せみ)しぐれ」中曽根康弘
この俳句のように、ドロくさく生涯現役の執念・気概で生きなくて、家族を幸せに出来ますか?
そういう意味では、御紹介の作品102のマイスキー&アルゲリッチ・コンビの艶やかで生命力溢れるアプローチの演奏など、いい線いっているのでは?
愛知とし子さんにも、たくましく働く女性の視点からのベートーヴェン演奏というものを、期待したいです(笑)。あまり早くに、男の枯れた後期の境地を理解しないでください(爆)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
後期ベートーヴェン作品の否定、素晴らしい試みです(笑)。
>あまり観念論的で枯れた後期ベートーヴェン作品の世界にどっぷりつかるのは不健康、絶対やめたほうがいいです。
もっと死ぬまで欲望ギラギラでいかなくっちゃ・・・
確かにそういう見方も大いにありですね。「「具体的に」社会に対して何を貢献することができるか」というのはひとりひとりに与えられるキーワードだと思います。
聴き方、捉え方を変えれば不滅の後期作品群も机上の空論になりうるところがまた懐の深いところです。
おっしゃるようにそう考えればマイスキー&アルゲリッチ盤は立派です。
>愛知とし子さんにも、
>あまり早くに、男の枯れた後期の境地を理解しないでください
(爆笑)

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