McCOY TYNER TRIO with special guest GARY BARTZ

マッコイ・タイナーに出逢った。何と今や83歳だという。
確かに足もとはまったく覚束ない。ほとんどスタッフに抱えあげられるようにステージに上がった彼は大事そうに持ったショルダーバッグを徐に床に置き、木目のスタインウェイの前に座った。そこからが本領発揮。矍鑠とした姿勢で一貫してマッコイのピアノを披露する(10数年前に同じブルーノートに現れたエルヴィン・ジョーンズも同じようだったそう。ドラムの前に座るが後光が差したらしい)。
真に素敵なひとときだった。正味1時間と15分ほど。あっという間の時間だったけれど、昨晩、かつてのコルトレーン・カルテット時代の演奏を聴いて考えていたことが、実際はどうなのかがほんの少しだけれど答を得たような気がした。

マッコイ・タイナーは本当に真面目な人なんだと思う。もちろんそれが彼のアイデンティティで、ある時からジョン・コルトレーンにはついて行けなくなった。ただ、それだけのこと。だから自分のスタイルを追究し、ずっとその道をはずれなかったということだ。今夜の演奏を聴いて、そのことはすぐさま確信できた。いや、演奏が始まる前に彼の姿を一目見た時からそのことはわかった。見るからに誠実で、その字の如くの好々爺ゆえ。

McCOY TYNER TRIO
with special guest
GARY BARTZ
Live at Blue Note Tokyo
11.6tue.-11.8thu.,11.10sat.

Personnel
McCoy Tyner (p)
Gary Bartz (sax)
Gerald Cannon (b)
Montes Coleman (ds)

それにしても時折入るマッコイのMCは滑舌が悪くて何を言っているのかほとんど不明(笑)。ファースト・ステージが終わった後、置いてあったバッグをまた大事そうに抱えて楽屋に下がる様子を見て、そこにいたスタッフの女性にあの中には何が入っているのか尋ねたらおそらく私物だと(笑)。誰にも触らせないらしい。それもほとんどサラリーマン諸氏が持っているような「普通」のバッグだったから余計に可笑しかった。

ところで、肝心の演奏。それはマッコイ・タイナーのピアノだった、間違いなく。何だか彼に出逢えたことで胸いっぱいで演奏はあまり覚えていない。でも、一つ言えるのは「真面」だったということ。一見大雑把に見える奏法から繰り出される音は芯がしっかりしていて地鳴りのようだった。それくらいに安定しているのである。そしてゲイリーやジェラルドと目配せしながら音楽を即興で創り出してゆく様がやっぱりかっこ良かった。そして、彼が間違いなく「神と愛とを信じることでインスピレーションを得ているんだ」ということも理解できた。

ちなみに、演奏された楽曲が何なのかは残念ながら僕にはわからない。でも、マッコイ・タイナーのプレイを聴きながら思い出したのは、キャノンボール・アダレイが昔何かのバンドで演っていた音楽・・・。


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