少しコルトレーンあたりを追究しようと思っていたけれど、今日はすでに思考停止状態なので止めにする。で、どうするか、いろいろ迷った挙句引っ張り出してきたのが、もうだいぶ前に手に入れておきながらなかなか言及できなかった音盤。
それはかのムラヴィンスキーが西側に演奏旅行した際に、グラモフォンの執拗な(?)要請により実現したというチャイコフスキーの交響曲集のEsotericによるSACD。
初めて聴いたときはひっくり返った。もともと決して悪い音ではなかったものが、重低音の刺激といい、分厚い音圧といい、あっと驚く一層生々しい音質で蘇っていたものだから。
深夜なので大音量でかけるわけにはいかないけれど、たとえ音を絞り込んでも音像がとにかく鮮明で鮮烈で・・・。
まずは、作曲者自身は不自然な失敗作とみなしたものの、一般大衆からするととてもわかりやすい、「闘争から勝利へ」という例のベートーヴェン風モティーフを下敷きにした傑作第5交響曲を。ムラヴィンスキーはこの曲が十八番だったので、何種もの異演盤が残されているが、やっぱりこの1960年の録音が最右翼。何度聴いてもチャイコの第5はムラヴィンスキーに止めを刺す。
第5と「悲愴」がウィーンの楽友協会、第4がロンドンのウェンブリー・タウン・ホールでの録音。数ヶ月の西側への演奏旅行の最中におそらく大変な交渉が舞台裏ではあったのだろうと想像できる。しかも、オーケストラの配置はレニングラード・フィルの常套とする両翼配置でなく、ストコフスキーが考案した舞台下手に高音部、上手に低音部を揃えるという現代の標準的な配置での録音なのだから、そのことも含め具体的にどんなやり取りがどれくらいの期間にわたって繰り広げられたのか興味深いところだ。
個人的には通常のスタイルで録音しておいてくれたら「悲愴」の終楽章冒頭主題の醍醐味をもっと感じることができたろうにとそこだけは正直残念なのだけれど。
レニングラード・フィルの一糸乱れぬアンサンブルと、それでいて艶のある響きはもう異常と言っていいくらい。あの頃のソビエト連邦の音楽家のレヴェルというのは到底計り知れないほどの高みにあったことがこの録音を聴くだけで理解できる。例えば、第5交響曲のフィナーレのコーダの猛烈なアッチェレランドでもまったくぶれない、どころか、安定感抜群なところは舌を巻く。
あるいは、第4交響曲第1楽章冒頭の金管の咆哮も「ぶっ飛び」としか表現できない(この録音の後、まもなくムラヴィンスキーがこの作品をレパートリーから外してしまう。最高の名演奏が繰り広げられている故真に惜しい)。
本当は「悲愴」までしっかり聴き通したいところだが、うーん、今夜のところはこのあたりで終えておこう。明日も早いことだし。
嗚呼、久しぶりに聴いて、耳の良い保養になった。神様、ムラヴィンスキー様、ありがとうございます。