ひとつになる、人間変奏曲

brahms_schuricht_vpo.jpgサーバーを「さくらインターネット」に移行したらお陰さまで随分快適になった。ITについてはとんと疎いが、独立してから友人の協力を得ながらサーバーの登録や管理、ホームページやブログのセットアップをまがりなりにも自力でやってきて、少しずつ「しくみ」がわかってきたように思う。まさに「習うより慣れろ」である。それにしても、ほとんど同額の料金を支払いながら、これほどまでに「違い」があるというのは逆に面白い。これも「個性」といえば「個性」なのか。

昨年に引き続き、明日から2日間、「フェザント山中湖」でのベンチャー企業新入社員合同合宿研修の講師を務める。今年のポイントは「社会の厳しさ」を教え、「達成感」を実感させるということ。確かに、今のような景況感の中で社会に出て行く若者のために「世の中甘くない」ということを体感的に知らしめることは大事だと思うが、一方で(会社を含めた)人のために「働くこと」の喜びを教えることが重要ではないか。だから、僕の中での裏テーマは「ひとつになる」というもの。複数の人間が集合し、各々が「他」のために動き、働き、助けることで成果は2倍にも3倍にもなる。人と人が織り成すシナジーというのは無限大であるということを最終的に感じてもらいたいと考えているのだ。

一つのテーマを投げかけ、そこに参加するひとりひとりが何かを感じ、そして自分なりにベストを尽くして物事を創造していく。そして個々が影響を与え合って、最終的には大団円(それは「ひとつになる」ということ)を迎えるといういわば「人間変奏曲」をいかにうまく奏するかだ。

常に心を揺り動かしてくれる、とっておきの「変奏曲」を聴く。ブラームスの第4交響曲第4楽章パッサカリア。フルトヴェングラーのデモーニッシュな演奏に惚れ、クナッパーツブッシュの悪魔の高笑いのような演奏に痺れ、ワルターの清澄にして完璧な演奏をこれまで愛聴してきたが・・・、

ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1965.4.24Live)

ムジークフェラインにおけるシューリヒトのウィーン・フィルとの最後の演奏会の実況録音!前プロのシューベルトの第5交響曲とあわせて最晩年のシューリヒトの「気概」が恐ろしいまでに表出する音楽。若々しく、エネルギッシュで、ひとつひとつに込められた音霊の意味深さよ。パッサカリア主題とそれに続く30の変奏それぞれが影響を与え合ってまさに最後の大団円を迎える様は見事という以外に言葉が見つからない。ともかく「唖然」とするほど感動的な演奏なのだ(もちろん最初の3つの楽章の集中力もありえない立派さだ)。

bach_kantaten_150_leonhardt.jpgちなみに、このパッサカリア主題のもとになったというバッハのカンタータも聴いてみる。終末合唱のテキストは旧約聖書に依っているゆえ、キリスト教徒でない僕など心底共鳴することは正直難しいが、この音盤に聴く演奏そのものは、心が洗われるほど完璧に昇華されていて、極めて美しい・・・。

J.S.バッハ:カンタータ第150番BWV150「主よ、わが魂は汝を求め」
アンスガー・ファイファー(カウンター・テノール)
パウル・エスウッド(アルト)
マックス・ファン・エグモント(バス)
ハノーヴァー少年合唱団
コレギウム・ヴォカーレ・ゲント
グスタフ・レオンハルト指揮レオンハルト・コンソート

苦難の中の私の日々を
神は終わらせて喜びへと至らせてくださいます。
いばらの道を歩むキリスト者たちを
天の力と祝福が導いてくださいます。
神が私の真実の守り手であるならば、
私は人間の抵抗など気にも留めません。
キリストは私のそばにいてくださって
日々に私を助けて勝利させてくださいます。

よし、明日から2日間頑張ろう!


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。
いつも岡本さんのブログを読んで感心しますのは、ブラームスの4番、マーラーの6番「悲劇的」、チャイコの6番「悲愴」など厭世的な雰囲気を漂わせる短調で終わる曲を聴かれても、ポジティブで人生肯定的な捉え方をされていることです。その点で、いつも読んで勉強になっています!
私は、昔からポジティブな気持ちになりたい時には、こうした曲はまず聴きませんでした(普通はそうじゃないですか?・・・笑)。交響曲ではベートーヴェンの5番「運命」や「第九」、ブラームスの1番、チャイコやマーラー、ショスタコの5番・・・、「闇から光へ」の曲で自分を鼓舞していました(普通はそうでしょ?・・・笑)。
シューリヒトのブラームスは、こってりし過ぎていなくていいですよね。しかも恐ろしく深いですよね。ある意味、彼の演奏は、日本人向きなのかなあとも思います。
バッハのカンタータ、趣味でこの分野を極めるのは、私には一生無理でしょうね。

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岡本浩和

雅之様
こんばんは。本日たった今山中湖での研修を終え、解放されました。
あまりポジティブ云々は意識してないのですが、結果おっしゃる通り短調で終わる曲も浄化のために聴いているんだと思います。
携帯からコメントを書いているので、これ以上は操作が面倒で言及しかねますが(笑)、帰ったらまたあらためてコメントします。
明日も一日長丁場なので、この辺で。

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雅之

おはようございます。
何故か4月4日の記事にコメント出来ません(コメント欄が開きません)。仕方がありませんので、前日のコメント欄に書き込みます。
>僕には0歳の鮮明な記憶がいくつかある。
胎児や乳児時に記憶の回路が形成され、保持されるということは、科学的にも充分有り得ますよね。胎教や乳幼児時期の育て方は、とても大切ですね。「赤ちゃんのためのコンサート」も、極めて意味のあることだと思います。
4月4日にご紹介のクーベリック&バイエルン放送響の1965年4月24日東京文化会館でのライヴのCDは未聴ですが、さぞかし名演だったのでしょうね。私の理想のオケはウィーン・フィルやベルリン・フィルではなく、バイエルン放送響やミュンヘン・フィルなので、このCDも購入して聴きたいです。クーベリックもセッション録音とライヴでは、乗りが全く違う指揮者でしたよね。
1962年に開館した、私と同い年の東京文化会館君の脳裏にも、数々の過去来日した名演奏家の記憶がれっきとしてあるのだと思っています。私は古いホールに行くと、神社仏閣と同じ、神聖な何かを感じることがあります。物故した名演奏家の霊が、こうした場所で、現代の演奏を静かに見守っているのかも・・・。

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雅之

上記4月4日の記事に対するコメント、重複しているので消しちゃっていいですよ(笑)。
残されてもいいですが、こちらの方は東京文化会館の開館年を間違えましたので、4日のコメント欄で直しました(正しくは1961年4月、私の生まれは1962年1月なので、同級生です・・・笑)。

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