未来は変化する

haydn_ABQ_76_2_4.jpg近年の「人材開発」の潮流は、研修のための研修に終わらず、受講者を行動変容に至るまでフォローし、結果を残すことに重点を置くシステムを開発提供することに尽きるのだという話を昨日ある会合で聞いた。それと、強みも弱みも含めてその人であるということを認め、あくまで自然体で成果に結びつけていくには組織の中に生きる個々人をどうしていくべきか、そして個人のタレント-すなわち誰もが潜在的に持っている能力をいかに引き出し、いかに生かすかという「タレント・マネジメント」が主流になり始めたようである。当然といえば当然の流れ。

「ティッピング・ポイント」を著したマルコム・グラッドウェル氏は、若いうちから能力に長けている人もいれば、時間をかけることによって長期的にタレントを開花させていく人も多くいるゆえ、個人の持つ長所を気長に引き出すことを企業側も考える必要があるということを説いているようだ。しかし、その一方で、多くの企業は目先の売上を重視する傾向が相変わらず強く、従業員ひとりひとりに「結果」を求め、「結果」だけをものさし(すなわち判断基準)にするあまり、その人の能力の芽を摘み取り、時には心の問題に発展したり、理想と現実の間にある「壁」はまだまだ高いように思われる。何だか「矛盾」だらけだ。

人間は環境に左右される生物である。結局のところ、会社の風土そのものを変容しない限りその中で働く個人の行動を変えていく、あるいは才能を伸ばしていくのは難しいのではないのか・・・。経営者が従業員を教育するために使うツールとしての「研修」では、そもそも成果や抜本的な問題解決の糸口にはなりえないのではないか・・・。「経営者自らが自身の行動変容をすることにより同時に企業風土の変容が起こるのだ」という前提があり、従業員の教育がやっと成り立つのではないのか・・・。
「ASTD(=American Society for Training and Development)2008」の参加レポートを前にしながら、そんなことを考えた。

世の中のしくみを冷静に客観的に見れば見るほど、すべてが茶番に思えてくる。今の研修は、研修業者が生きていく、飯を食べていくために存在するもので、成果を求めてそれを受講する人たちのために存在しているものではないのかもと思った。

若くしてすでに音楽家としての成功を手中にしていたハイドン60歳代のマスターピース集。

ハイドン:弦楽四重奏曲第76番ニ短調作品76‐2「五度」、第77番ハ長調作品76‐3「皇帝」、第78番変ロ長調作品76‐4「日の出」
アルバン・ベルク四重奏団

いわゆるエルデーディ四重奏曲からニックネーム付の有名な3曲を収めたABQの傑作アルバム。どの楽章のどの瞬間をとっても、老練のハイドンの枯れた味わいとでもいうのか、飽きることのない精神的な高みに達した音が沸々と湧き出していることがよくわかる。長年仕えたエステルハージ家から解雇通達を受けながらも、既に功成り名を遂げたハイドンにとってみれば、お暇を与えられたことが逆に「創造力」の開放につながり、よりレベルの高い楽曲を生み出すことにつながったようだから、解雇そのものがそもそも不幸中の幸いだったようなものだ。
有名な「皇帝」の第2楽章はもちろんのこと、「五度」の第3楽章メヌエットの弾けるような愉しさはハイドン独自の世界。世の中、何がどう影響して、「変化」が起こるかわからないものだ。未来は変化する。ハイドンの音楽は常に未来を見つめている。

※「資本主義」という名の下に、本質を重視するのではなく、すべてが形骸化している今の世の中ってどうなんだろう・・・?

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