シューマン:ミニョンのためのレクイエム

今日も寒かった。
でも、何だか春の蠢きを感じる一日だった。

ロベルト・シューマンの音楽を理解するのに当時の社会的背景はもちろんのこと、彼が愛して止まなかった文学作品や絵画、音楽など様々な「文化」を享受しないことにはなかなかその真髄までは届かない。その意味では僕もまだまだ。
若い頃からシューマンの作品の多くに一種「壁」のようなものを感じていたのはそういうところにも理由があるかも。音楽の専門家、とりわけ演奏する人たちに聞いてみると、ピアノ作品などもどうしてそういう展開になるのか理解不能の側面も大いにあるそうで(逆にそれがまた魅力でもあるのだけれど)まったく一筋縄ではいかないらしい。ましてや素人の僕たちがロベルト・シューマンをものにしようとするのは至難の業ということだ。せいぜい上っ面で、そう、あくまで感覚的に彼の音楽における意味、というか意志を聴き取ってこの天才の「魂の奥底に響く」ものを推論する以外に方法はないのかも・・・。

事実、人口に膾炙する有名作品以外は手強い。じっくり聴き込んだとしても良いメロディなのだけれどしっくり腑に落ちないということも多い(多かった)。特に晩年のものは暗鬱たる雰囲気が立ち込め、楽想があちこち飛び、支離滅裂で近寄りがたい。しかし一方で、そのことで不思議な魔力、魅力も呈しており、ロベルト・シューマンの脳の内部を探索し、勉強のし甲斐が相当にあることもわかって面白い。

例えば、世の音楽家がこぞって影響を受けたゲーテやハイネの夥しい数の詩作。それらを知らずしてシューマンは、いや少なくともロマン派の作曲家たちの音楽作品は何一つとして理解したことにならないし、語ることも不可能。本当ならばこのあたりも一からじっくりと研究したいところだけれど、なかなか・・・。

久しぶりに晩年の作品である「ミニョンのためのレクイエム」を聴いて、ふとそんなことを思った。これは、ゲーテの教養小説である「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」に登場する少女ミニョンの葬式に歌われる詩に曲をつけたもので、ゲーテ生誕100年にあたっていた1849年に創作されている。

シューマン:
・ミニョンのためのレクイエム作品98b
・ミサ曲ハ短調作品147
オードリー・マイケル(ソプラノ)
リリアーナ・ビツィネケ=アイジンガー(メゾ・ソプラノ)
エリザベト・シルヴェイラ、スザンナ・テイセイラ(コントラルト)
マルクス・シェーファー(テノール)
ミシェル・ブロダール(バス)
ミシェル・コルボ指揮リスボン・グルベンキアン財団管弦楽団&合唱団(1988.7録音)

わずか12分と少しの美しい曲。音楽は、不思議に明るい。いや、さすがに葬送の場面を音化していることもあり、とても清澄で美しく、何より聴きやすい。

君たちのうちに、形成の力が生きるように。
その力はこよなく美しく、こよなく高いもの。
その力は、命を星の彼方へと運んでゆく。
見上げてごらん!
霊の目を凝らして見上げてごらん!
(訳:礒山雅)

晩年のシューマンは過去の偉大な作曲家の作品、パレストリーナ、バッハ、モーツァルト、ハイドンらの作品を研究し、大変に触発されたらしい。そのことによって、これら信仰心溢れる宗教的作品(「ミニョン」は宗教音楽ではないけれど)が生み出されるきっかけになったそうだ。
死をとりあつかう鎮魂曲にこそ僕は生の喜びを感じとる。生と死とはひとつ。春が・・・蠢く・・・。


5 COMMENTS

ふみ

おー、さすが岡本さん。こんな名曲はノーマークでした。こういう所がやっぱり凄いなぁと…勉強になります。

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岡本 浩和

>ふみ君
「楽園とぺり」なんていう大曲も最高だけれど、こういう小さな音楽にもシューマンの魅力たっぷりなのでぜひ!

返信する
みどり

>僕もまだまだ。
>勉強のし甲斐が相当にあることもわかって面白い。

と仰っていることからも、既に並々ならぬ自負が窺えますね!(笑)
「シューマンの脳の内部を探索」なさるのであれば、
精神医学や病跡学からのアプローチも役に立つのではないでしょうか。

30年程前、日本の某有名ピアニストの方が「ピアノを弾く立場からすると
ピアノが上手いと思うのはリストやラフマニノフであって、
シューマンは下手である」という意味の発言をなさっていましたが、
ピアノ曲に限らず、シューマンへの理解を深める際には、その「右手」に
関する問題は看過できないと思います。

こちらがなかなかと興味深く思われますので、参考までに。
http://www.miguchi.net/archives/1170

無事に復帰なされたご様子、お喜び申し上げます(笑)。

返信する
岡本 浩和

>みどり様
いやいや、僕などはまだまだです。ご教示いただいた精神医学、病跡学からのアプローチは興味深いですね。
ご紹介いただいたサイトでも勉強させていただきます。
確かに「養成ギブス」で手を痛めたというのはどうも不自然だとは思っていたので・・・。

シューマンの「右手」に関する考察が熱いですね!(笑)
今後ともよろしくお願いいたます。

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