軸をぶらさず正直に・・・

今宵、新橋にて音楽愛好家同志の会合。
いきなりブルックナーだ、チェリビダッケだなどと盛り上がった。残念ながら僕はチェリビダッケの実演に触れていない。チェリのブルックナーというとある筋からは神格化されているが、音盤を聴く限りにおいてはそのあまりの牛歩に閉口気味になる。しかしながら、生に接した方から言わせれば楽曲のテンポなどまったく関係ないのだと。なるほど、空間芸術、時間芸術である音楽においてはいかに「音の缶詰」たるレコード類が邪道なのかあらためて思い知らされた。
時は一瞬にして流れる。芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」という言葉が自ずと思い浮かぶ。過去に執着せず、未来に思いを馳せながら「今」を生きる。それこそが人生を謳歌する秘訣であり、また音楽を十分に堪能する方法でもある。

古い録音を聴きながら、思いに耽る。古いと言ってもその表現はいまだに新しい。それがオットー・クレンペラーの真髄。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1957.10)
・交響曲第7番イ長調作品92(1960.10&11)
・「コリオラン」序曲作品62(1960.10&11)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

年をとるとこういうのろのろ運転がより好みになる。若い頃はフルトヴェングラーのアッチェレランドに痺れたものだが、インテンポのこの重厚さが堪らない。おそらくチェリビダッケ同様ライヴを聴くと卒倒ものだったのだろう・・・。しかし、不幸にも僕にはその機会は訪れ得なかった。

唐突だが僕は思う。
クレンペラーのように、あるいはフルトヴェングラーのように自身の軸をぶらさずに正直でありたい。奇人変人と言われようと、自分自身を誤魔化さないことが生きるうえで一番重要だと。

さて、明日もまた大学での講義。アドリブを効かせながら学生を巻き込もう。

2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

allegro con brio
アレグロ・コン・ブリオ(輝きをもって速く)
の日は最高だけど、
andante con moto
アンダンテ・コン・モート(気楽にのんびりと)
や、
andante maestoso
アンダンテ・マエストーソ(おごそかにゆっくりと)
の日もあってもいい

人間だもの。

いろんな速度指定に日々表情を変える第4章を期待し、
ワクワクしながら愛読し続けます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
おっしゃるとおり、人生様々な表情が必要ですね。
どんな日があっても楽しんでいきたいと思っています。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

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