リヒャルト・シュトラウス再発見!

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「カプリッチョ」の最後のシーンはホルンが活躍する「月光の音楽」で始まる。ふくよかで少々くすんだ音色が、煌々と照らされる月明かりでなく、曇り気味の秋空に響くように奏されるところに哀愁感が漂う。ちょうど今頃の季節・・・、東京も秋雨に濡れ、いよいよ本格的な秋の到来かという印象である。
曇り空ゆえ月は見えない。日の入りも随分早くなった。「早わかりクラシック音楽講座」でムラヴィンスキーのチャイコフスキーを聴き、参加者に語りかけながら、ふとそんなことを考えていた。チャイコフスキーの音楽は「寂しい」。究極の「独り」音楽だ。孤高の指揮者が演奏するとより一層その感が強まる。でも、その「寂しさ」が手にとるようにわかるからみんな好き。交響曲は確かに初心者には重い。でも「くるみ割り」や「白鳥」、あるいは「弦楽セレナーデ」なら誰しも喜んで耳を傾ける。これが同じ作曲家の筆から生み出されたものなのかと驚く人が多いが、間違いなくすべてはチャイコフスキーの作品だ。一見明るい調子の音楽にも「寂謬感」が垣間見え、だからこそひとつになれる。

フレンチ・ホルンの撫でるような音調がたまらない。

R.シュトラウス:
・ホルン協奏曲第1番変ホ長調作品11
・ホルンとピアノのためのアンダンテ(遺作)
・歌劇「カプリッチョ」作品85~終景への序奏
・ソプラノ、ホルンとピアノのための「アルプホルン」作品15-3
・ホルンとピアノのための序奏、主題と変奏変ホ長調
・ホルン協奏曲第2番変ホ長調
バリー・タックウェル(ホルン)
マリー・マクラフリン(ソプラノ)
ウラディーミル・アシュケナージ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

会話劇「カプリッチョ」と同じ頃に書かれた第2番のホルン協奏曲は、シュトラウス晩年の知る人ぞ知る傑作。名うてのホルン奏者である父フランツの影響だろうが、彼のどの作品もホルンの活躍するシーンが多い。以前、ベートーヴェンの「エロイカ」交響曲についてブログ上でやりとりしたあたりからホルンという楽器について俄然興味を持ち始めたからか、どうもこういう音楽が気になって仕方がない。このタックウェルとアシュケナージによる音盤も随分長いこと棚の奥に眠っていたが、久しぶりに取り出して繰り返し聴いてみて、決して侮れない作品たちが並ぶことにあらためて気づかされた。2つのコンチェルトはもちろんのこと、ほとんど知られていないだろうホルンを伴った室内楽作品にも佳曲が多い。リヒャルト・シュトラウス再発見、というところか・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私が中級~上級のクラシック・ファンにお勧めしたい音楽の聴き方は、「歴史聴き」と「楽器聴き」です。「歴史聴き」は岡本さんの得意分野だと思いますので、今朝は「楽器聴き」について・・・。
吹奏楽やアマオケで楽器をやっている人は、オーケストラ曲聴いても自分の楽器のパートばかり注目して聴きがちなのですが、そういうのもよくないですね(最悪なのはピアノやってる人! ピアノしか興味がない人がじつに多い)。
一枚の交響曲のCDを、昨日はヴァイオリン、今日はオーボエ、明日はトランペット、次はチェロ、その次はティンパニ・・・、というふうに、毎回着目する楽器を変えて聴けば、楽しみは何倍にも何十倍にも拡がると思います。
先日話題のマーラーの「巨人」だって、たとえばホルン奏者の立場で聴いたら、コントラバス奏者の立場になって聴いたら、また全然違う楽しみかたが出来るでしょう。
第4楽章の後半、7人全員のホルン奏者の起立をマーラーは求めていますが(下のインバルの演奏画像では7:07~)、
http://www.youtube.com/watch?v=l_NW6PDGM8I&NR=1
マーラーの楽譜指示や精神に最も忠実なはずのバーンスタインが、VPOとの演奏(1974年)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA%E3%83%8B%E9%95%B7%E8%AA%BF%E3%80%8A%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E3%80%8B-DVD-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3-%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89/dp/B003F31O4A/ref=sr_1_5?s=dvd&ie=UTF8&qid=1286751763&sr=1-5
では、なぜホルンを起立させていないのでしょう? 当時のウィーン・フィルはまだバーンスタインに協力的ではなかったから?・・・、そういう演奏の舞台裏を想像してみるのが楽しくなります。
R.シュトラウスの楽曲も、本当にホルンが大活躍しますね。英雄的だったり、官能を表現したり・・・、様々な使い方をしていますね。
では、シュトラウスにとって「ホルン」とはどんなイメージの楽器だったのでしょう。
私は彼が作曲の時イメージしたのは、「父」そのものだと思います。
お父さんは当時最高レベルのホルン奏者、シュトラウスは子供のころオーケストラの練習場で、ホルンセクションのあの朝顔の後ろあたりを駆け回って遊んでいたというじゃありませんか。父親のために書いたホルン協奏曲第1番に限らず、ホルンが活躍するどんな場面でも、父親の姿をオーバーラップさせていたのだと思います。
ホルン協奏曲第2番、絶品ですよね。オーボエ協奏曲(こちらも大好き!)もそうですが、晩年のこれらのシュトラウスの作品には、たとえばモーツァルトのクラリネット協奏曲にも似た、「秋」を感じますよね。
私も、昔の父の気持ちがわかる年齢になりました。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
確かに「楽器聴き」というのも面白いですよね。
学生時代に吹奏楽をやっていた人などは自分の楽器が気になるようで、そういう聴き方をされる人が多いように思います。
>毎回着目する楽器を変えて聴けば、楽しみは何倍にも何十倍にも拡がると思います。
同感です。
>第4楽章の後半、7人全員のホルン奏者の起立をマーラーは求めていますが(下のインバルの演奏画像では7:07~)、
ご指摘のようにバーンスタインは指示に従っていないようですね。やっぱり「当時のウィーン・フィルはまだバーンスタインに協力的ではなかったから」でしょうかね。
>私は彼が作曲の時イメージしたのは、「父」そのものだと思います。
この意見についても同感です。
ホルン協奏曲は「秋」を感じさせますよね。
それにしても、雅之さんは反論を求めますが、今日のようなコメントですと反論どころか・・・、という感じです(笑)。
まったくもって同感です、それしか言えません。

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