シューマン:「ファウスト」からの情景

ロベルト・シューマンの音楽は常人の装いと病人の風貌が交互に入れ替わり、時にとても心に染みるメロディが現れるのだけれど、次の瞬間には既について行けなくなるほどの狂気の風が吹き荒れる。しかし、まるで熱波の如く高温が押し寄せては引き、引いては寄せを繰り返し、聴く者を捉えて離さない。
僕は滅多にシューマンの音楽には触れないようにしている。ひとたび聴き始めるとしばらくシューマン漬けになってしまうから。どうやら、「今」またその時が訪れてしまったよう(笑)。病み上がりに不用意に(?)「ミニョンのためのレクイエム」なんて聴いてしまったものだからオラトリオ「楽園とペリ」をはじめとして「ファウストからの情景」など晩年の声楽作品を片っ端から流し聴きした。やっぱりその音楽だけを享受するのでは全貌を認識するのは到底不可能。ゲーテの「ファウスト」などは世界文学史上稀代の傑作だと僕も思うのだけれど、理解のレベルを云々することは横に置くとして、これまで多くの作曲家がそれを音化しようとしているにもかかわらず、真の意味でこれだと思えるものが残念ながらない。ゲーテ自身はその役はモーツァルト以外にありえないと考えていたらしいが、本当にそうなのかも。「魔笛」をより研ぎ澄ました世界を見事に音楽として創造し得るのは晩年のモーツァルト以外にあり得なかったのかもしれない。

とりあえず第3部を。ゲーテ生誕100年の1849年に第3部である「ファウストの変容」のみドレスデンとライプツィヒで初演され、大好評だったという。
ほぼ同時期、ワイマールではリストもこれを採り上げ、次のように賛辞を贈る。

この美しい大作はワイマールでこれまでになく美しい崇高な感動を聴衆に与えました。全体の印象は見事の一言に尽きます。

原作における第2部第5幕の「三峡、森、岩、荒地」の後半部。ファウストはここで聖母によって救済され、永遠の生を受ける。

シューマン:「ファウスト」からの情景
ブリン・ターフェル(ファウスト、天使に似た教父、マリア崇拝の博士、バス)
カリータ・マッティラ(グレートヒェン、贖罪の女性のひとり、ソプラノ)
ヤン=ヘンドリク・ローテリング(メフィストーフェレス、悪霊、バス)
バーバラ・ボニー(マルテ、憂愁、ソプラノ)ほか
テルツ少年合唱団
スウェーデン放送合唱団
エリック・エリクソン室内合唱団
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1994.6.5-7Live)

やっぱりこの物語は一筋縄ではいかぬ。
終幕最後の「神秘の合唱」。

なべて過ぎ行くものは
比喩に過ぎず。
地上にては至らざりしもの
ここにまったきものとして現れ
およそ言葉に絶したること
ここに成就す。
永遠なるものにして女性的なるもの
われらを彼方へと導き行く。
(訳:柴田翔)

いつの時代も不老不死は人類のテーマ。魂が死なないと考えると、「永遠の生」など果たして本当に望む人などいるのだろうか・・・。あくまで仏教思想的だが、「輪廻転生」という観点から言えば、生まれ変わりによりいわば修業が続くということで、むしろ「永遠の生」など恐るべきものなのじゃないかと僕などは思うのだけれど。いや、これは浅知恵だ。
おそらくゲーテの思想はもっと深い。そこは天国なのか、あるいは何と称するのか。輪廻転生を超える「永遠の生」というものが在るのだろう・・・。シューマンの音楽も神々しく、安らかだ。


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