イアン・ボストリッジは真に巧い。決して大根役者でない、歌に対する感情移入が音を聴くだけで如実に見えるのだから、それも基本的にどんな音盤を聴いてもそうなのだから舌を巻く。それに、一見風貌からいかにも深刻なようだけれど観客を楽しませようという心意気に溢れ、とにかくリサイタルを観ても音盤を聴いても愉しい。彼自身が歌うことを謳歌しているのだから当たり前のことだろうけれど。
なるほど、それはどんなジャンルにおいても当てはまる「仕事のコツ」のようなものだ。まずは自分が楽しむ。そして、他人に喜んでもらおうと努力すること。
ベートーヴェンの尊敬する音楽家は先輩のモーツァルトをはじめ、同時代のケルビーニなど数多いが、若い頃からヘンデルに対する彼の評価はことのほか高かったよう。最晩年の病床に「ヘンデル全集」全40巻の楽譜を手に取ることもあったそうで、特にオラトリオ「サウル」には魅力を感じていたらしい。
「あなたの誕生日のために変奏曲を書きました。それはあなたがまだ聴いたことのない作品です」(1861年10月11日付ブラームスのクララ・シューマン宛手紙)
ヘンデルの「組曲第2巻第1番」の『アリア』の主題を用いたことからもわかるように、ブラームスにとってもヘンデルは神様のような存在だったみたい。
「バッハの『サラバンド』を見てごらん。始めから終わりまで、1本の素晴らしい旋律線がある。新たに付け加えなくても、1本の流れでできている完璧なメロディだ。後世の人には真似ができない。ヘンデルの「サウル」の葬送行進曲(第3幕)はどうだ。「神々の黄昏」の葬送行進曲なんか目じゃない!ワーグナーの行進曲には場面が不可欠だ。でもヘンデルの方はそんなものがなくても最高だろう」
上記は1883年11月21日にブラームスがリヒャルト・ホイベルガーに語った言葉だが、ここでもヘンデルの「サウル」が引用される。
時折ヘンデルの音楽が無性に聴きたくなる。この天才作曲家の舞台作品、有名なものもそうでないものもボストリッジが歌うアリアは本当に美しい。ただひたすら耳に心地よい。教会での演奏を前提としたバッハの宗教作品と異なり、題材は宗教的なものも多いが、基本的に劇場で演奏されることを前提に作られたものだからまったく肩が凝らない。
そして何より冒頭にも書いたようにボストリッジの類稀な表現力がここでもものをいう。
例えば、デュエット曲「エイシスとガラテア」の『幸せな私たち!』と「快活の人、沈思の人、穏和の人」の『朝が夜の上に忍び寄るように昇って』におけるボストリッジの愉悦に満ちた声は、この人が本当に歌うことが好きで、そして他人と絡むことが好きなんだということを如実に物語る。彼は決して気難しい学者ではない。
名曲「オンブラ・マイ・フ」も見事。