「自分開花」勉強会

beethoven_violin_sonata1-3_kremer_argerich.jpgあなたをみんなと同じようにしてしまおうと日夜励んでいる世の中で、自分以外の何者にもなるまいとするのは人間のできうる闘争の中で最も厳しい闘いだ。そしてその闘いを止めてはならない。

本日の勉強会では、直前のキャンセルが相次いで結果としてマンツーマンの会となった。しかしながら、実に意味があり、よかった(もちろんクライアント氏にとって)。自分であろうとする闘いは本当に厳しい。受動的に流れに任せて生きていくのは楽だろうとふと思うことがある。その都度、いやいや「こうありたいんだ」ともう一人の自分が心の中で叫ぶ。であるなら、やっぱりやりたいようにやり、振舞ったほうが良い。言いたいことも遠慮なく言うべし。でないと、結局歪が生じ(バランスを欠き)、人間関係にも大きな影響を与えてしまう。

僕が思うに、特に結婚の場合だが、義父母との関係をいかに良好に、それもきちっと言いたいことを言える関係を作れるかどうかが鍵である。それも無理をせず、ありのままの自分自身を出せるという前提で。なるべくコミュニケーションをとれる機会を多く持ち、少しずつでいいから距離を縮めていくことが大切だろう。

人間ってシンプルだなとあらためて思う。シンプルであるがゆえ実に難しい。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
・ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
・ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

師のサリエリに献呈された3曲のヴァイオリン・ソナタは、まだまだモーツァルトの影響下にあるものの、特に変ホ長調のものなどは実に雄渾で、青年ベートーヴェンの野望というか、すでにこの頃から「世界平和」を念頭に音楽活動に携わろうと目論んでいたのではないかと思わせるほど地味ながら味のある音楽たちであることが微笑ましい。ちょうど20年ほど前、この音盤がリリースされた時に、初めてきちんとこの楽曲を聴いたのだが、当時は若気の至りということもあり、あまりよくわからなかった。しかしながら、ベートーヴェンは、結局いつの時代もベートーヴェンであり、若き日の彼も先輩諸氏の影響を受けながら、間違いなく彼にしか書けない「らしい」部分が頻出することが、この頃は手に取るようにわかるようになった(人生経験を積むことって大切だ)。

天才が天才でいられるのは、ある意味変人を貫き通せるからだろう。自身がユニークな存在であることを百も承知で、他に迎合せず、あくまで「自分」が「自分」であることを止めない。

昨今、どこの世界でも変人が少なくなった。ベートーヴェンやその他大勢の変人作曲家を見習いたいものだ・・・。


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ブログ本文冒頭のe.e.カミングスの名言、私も初めてご教示いただいた時からとても気に入っています。そう考えると、ベートーヴェンやショスタコーヴィチの人生には、とても頭が下がります。
>人間ってシンプルだなとあらためて思う。シンプルであるがゆえ実に難しい。
同感です。
「人は海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満ちている。
ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです」(天才アインシュタイン)
サリエリに献呈されたヴァイオリン・ソナタ(Op.12-1~3)はご紹介の名盤も所有していますが、私もこれまであまり真剣に聴き込んだことはありませんでした。
>間違いなく彼にしか書けない「らしい」部分が頻出することが、この頃は手に取るようにわかるようになった(人生経験を積むことって大切だ)。
おっしゃるとおりなんですよね。それに最近研究されたベートーヴェンの人生の新たな側面を知ると、所詮若書きだと斜に構えていた聴き方もまったく変わらざるを得ません。ご紹介のOp.12に加え、前にも述べましたピアノ三重奏曲第1~3番(Op.1-1~3 1794年)とか、ヴァイオリン・ソナタ(Op.30-1~3 1803年ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈)とか、これらの3曲セットでの作品番号の多用にも何か深い意味があるような気がしてくるから不思議です(笑)。
「私は、海岸で遊んでいる子供のようなもの。
ときに、なめらかな小石を見つけたり、きれいな貝を見つけたりして、はしゃいでいる存在に過ぎない。
まだまだ発見されることの多い大きな海を目の前にして…」(天才ニュートン)
『発見されることの多い大きな海、ベートーヴェンの音楽こそそれです』(凡才雅之)
「熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。
ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。
それが相対性というものです」(天才アインシュタイン)
『熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。
ところが熱いベートーヴェンの音楽を一時間聴いていても、一分間ぐらいにしか感じられない。
それが相対性というものです・・・笑』(凡才雅之)
>天才が天才でいられるのは、ある意味変人を貫き通せるからだろう。自身がユニークな存在であることを百も承知で、他に迎合せず、あくまで「自分」が「自分」であることを止めない。
昨今、どこの世界でも変人が少なくなった。ベートーヴェンやその他大勢の変人作曲家を見習いたいものだ・・・。
まったく同感です。
「もし私が価値のある発見をしたとすれば、それは才能があったからというよりも、辛抱強く注意を払っていたからだ」(天才ニュートン)
辛抱強く注意を払い、他に迎合せず、あくまで「自分」が「自分」であることを止めない天才作曲家や天才科学者達の人生から、我々が学ぶことは多いですね。たとえ彼らほどの天才ではないにしても・・・。
『ここで知っておかなければならないのは、ベートーヴェンも私達も、ほとんどが水で構成されているということです』
Chopin’s Etude Op 25 No 12 ~The Ocean~
Played by Vladimir Horowitz
http://www.youtube.com/watch?v=3o6v_myVAhQ&feature=related

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
>最近研究されたベートーヴェンの人生の新たな側面を知ると、所詮若書きだと斜に構えていた聴き方もまったく変わらざるを得ません。ご紹介のOp.12に加え、前にも述べましたピアノ三重奏曲第1~3番(Op.1-1~3 1794年)とか、ヴァイオリン・ソナタ(Op.30-1~3 1803年ロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈)とか、これらの3曲セットでの作品番号の多用にも何か深い意味があるような気がしてくるから不思議で
ここのところの雅之さんとのやりとりの中での気づきは本当に大きいです。初期の作品についても真面目に聴き直さなければと考えています。
>『発見されることの多い大きな海、ベートーヴェンの音楽こそそれです』(凡才雅之)
>『熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。
ところが熱いベートーヴェンの音楽を一時間聴いていても、一分間ぐらいにしか感じられない。
それが相対性というものです・・・笑』(凡才雅之)
とても凡才の言葉には思えません(笑)。
>ベートーヴェンも私達も、ほとんどが水で構成されているということです
ほんとですよね。そういう観点でショパンの作品25-12を聴くと新しい発見がありそうです。本日もありがとうございます。

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EBJ

岡本さんの書かれたこと、同感です。『自分らしく在り続けること』にはエネルギーがいります。時には挫けそうになりますね。時には周囲の抵抗もありますし。『最も難しい』闘争の所以です。しかし、常に生きている実感があります。思うに、芸術や学術で天才に触れて感動するのは、当該闘争の勇者から安らぎなりエネルギーをもらえるからでしょう。闘争なき平時では感動が少ない気がします。人生はうまくできていると思います。

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岡本 浩和

>EBJさん
久しぶりです。
>時には挫けそうになりますね。
確かにそうですよね。
>闘争なき平時では感動が少ない気がします。人生はうまくできていると思います。
同感です。

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