陰陽相ひとつ。
ベートーヴェンが創作活動において性格の異なる作品を同時並行的に書き上げたことは有名な話。一般的に、「苦悩から歓喜へ」というモットーが彼のあらゆる作品のモティーフとされ、しかも「ハ短調」という激烈深刻な調性が彼の作風を表すとやや誤解の傾向がなきにしもあらずだが、実にその影で(?)愛らしく開放的な音楽がいくつも生み出されていることを僕たちは忘れてはならない。
すなわちベートーヴェンは、万物の二面性、すべては表裏一体、あるいは陰陽明暗で成り立つという「宇宙の法則」が、無意識的にであれわかっていたということだ。
モーリッツ・フォン・フリース伯爵に献呈された作品23と作品24という2つのヴァイオリン・ソナタ。プレストで開始される第4番作品23は、ベートーヴェンの性急で革新的な側面が随所に現れる。まさに獅子奮迅の音楽とでも言おうか・・・。一方の、「春」という呼称を持つ、第5番作品24は、春爛漫たる「今」に相応しい明朗な名旋律で開始され、柔和で癒しに満ちるベートーヴェンの側面を見事に表現する。
これらの作品が創造された1801年は、ベートーヴェンにとって良くも悪くも転機となる年だった。最大のイベントは、聴覚疾患である。その苦悩を当時の彼の手紙が物語る。
あの嫉妬深い悪魔、僕の惨めな健康が生き方を邪魔してきた。この3年ほどで僕の聴覚はどんどん衰えている。君も知っているように、すでに当時から惨めな状態であった下腹部に原因があるのだと思うけど、ウィーンに来てからさらに悪化していつも下痢に悩まされている。
1801年6月29日付ヴェーゲラー宛
僕の聴覚が非常に弱っているんだ。君がまだ僕のそばにいたころからすでに悪かったんだけど、君には何も言わなかった。それが今やもっと悪くなっている。
1801年7月1日付、親友アメンダ宛
大変な苦しみの中にありながらベートーヴェンはいくつも音楽を生み出した。いや、そういう困難の中にあったがゆえ、多くの名作が生み出されたと考えた方が良いのかも・・・。
ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
・ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)(1998.10Live)
パリのシャンゼリゼ劇場でのライヴ映像。ムターとオーキスという名コンビの演奏はいつも目を瞠るものがある。ヴァイオリンとピアノが実に見事に融け合い、ベートーヴェンの宇宙を的確に表現する。特に、難聴と闘いながらも作品24では、4つの楽章という当時としては珍しい形態をとって「革新」を試みた楽聖の、いわば「魂の解放」を「一体となって」演奏し、聴く者の魂までをも解放するエネルギーで満たすのである。大袈裟な表現かもしれないが、それほどまでに僕の心を捉えて離さない素晴らしい音楽が鳴らされるのである。
さて、明日すみだ学習ガーデンさくらカレッジ第4期「早わかりクラシック音楽入門講座」が開講する。第1回のテーマは「ベートーヴェンの『スプリング・ソナタ』」。楽しみである。
※太字手紙は、平野昭著「作曲家◎人と作品シリーズ・ベートーヴェン」P61から引用。
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