エレーヌ・グリモー:クレド

エレーヌ・グリモーのプログラミングはいつも意味深い。
言葉にすると難解なようだが、実に彼女は知っているということだ。そのことがわかって彼女の演奏を聴くとなお一層面白い。

そこにあるのは愛。愛は人に与えるものでも与えられるものでもなく、人間の関係を示すものでもなく、コミュニケーションそのものである。音楽はまさにそうしたコミュニケーションであり、音楽家はそのやりとりを始める者だ。シェイクスピアはこの考えを最高傑作「テンペスト」の中、魔法を使う賢者プロスペロがこの世に別れを告げ、異なる世界に生まれ変わり、ようやく自由になる場面において紹介している。

だがこれらの作品が表現したい根本的なことは哲学的なメッセージでも宗教的なメッセージでもなく、時を超越して永遠の意味が与えられる精神性が放つ輝きである。

永遠の感覚をもつというのは、永遠を現世よりも崇高なものとして崇めるのではなく、自身が異なる永遠に生まれ変わることを意味する。最初の永遠と連なる新たな永遠、喜びに変わっていく、異なる愛の状態への再生。
~ライナーノーツより(訳:岡本和子)

彼女は狼と暮らす。エレーヌ・グリモー自らが書いたライナーノーツを読んで、この人が只者ではないことを理解する。過去と現在と未来がまさに同時進行であり、時間も空間もすべてがつながりひとつであることをグリモーの悟性はとらえる。そして、その想いを形にしたのが「クレド」というアルバムだ。鳥肌が立つ。

コリリアーノ:
・ソロ・ピアノのためのファンタジア・オン・オスティナート(1985)
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」(1802)
・ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲ハ短調作品80「合唱幻想曲」(1809)
ペルト:
・ピアノ、混声合唱と管弦楽のための「クレド」(1968)
J.S.バッハ:
・平均律クラヴィーア曲集第1巻~第1番前奏曲
エレーヌ・グリモー(ピアノ)
スウェーデン放送合唱団
エサ=ペッカ・サロネン指揮スウェーデン放送交響楽団(2003.9録音)

すべては移り行く。そして、音の芸術の真髄が「移ろい」にあることをあらためて教えてくれる。ここにある「移ろい」は音の濃淡、高低、あるいは強弱・・・、それらすべての境界がぼんやりとし、気づかぬうちにAからBに変わっているという様相。各曲についてそう。そしてまたそれぞれの作品が時代を超えて、物理的にも精神的にもつながっていることを示すかのように各々の作品の間でもそう。そのことが極めて自然に、しかも当たり前のように起こっていることが一番の脅威・・・。

こんな「テンペスト」は初めて聴いた。見事な「移ろい」。
グリモーは先のシェイクスピアの件から自ずとそれをベートーヴェンのこのソナタに結びつける。しかも、第7交響曲第2楽章のテーマをもとに書かれたコリリアーノの作品を前奏に据えて、「そこにあるのは愛」という音楽を徐に弾き始め、何事も起きなかったかのように「ただそこにある」ことを証明しながら弾き切ってしまう。

その後に続く「合唱幻想曲」は、ベートーヴェンが第9交響曲の意味を世界に問う前に形にしたまさに「永遠の意味が与えられる精神性が放つ輝き」だ。

白眉はタイトルにもなるアルヴォ・ペルトの「クレド」!!
バッハの第1番前奏曲を主題にしたこの音楽は現代音楽の混沌とした不確定要素とバッハの作品中おそらく最も調和的で確定的な音楽が対立的に扱われ、しかも対立的なのだが共生している点に魅力がある。これこそが21世紀の世界の在るべき姿なり。

彼女はなぜ狼を大切にするのか、本人の言葉は真に興味深い(そもそも幼い頃から自我を見失い、自傷行為やひきこもりを繰り返した彼女が狼との出逢いによって救われたという事実がすべてなのだけれど)。
狼はわたしたちと自然との困難な関係を象徴していて、環境保護に対するわたしたちの努力の重要な礎なのです。
狼はできるだけ野生に近い環境を与えなくてはいけません。そのことが次世代の人間の生活の質に大きく影響してくるからです。人類の健康と生活はわたしたちがいかにうまくこの地球を管理できるかにかかっているのです。

そして、インタビュー中の以下の言葉により彼女のピアノがどうしてこうもピュアなのか再確認した。
わたしは昔から、いかなる場所にも帰属していないと感じていました。
今はどこでも生活できると思えるようになり、そういった(自分の出身地とかルーツといった)事柄がどうでもよくなりました。

「狼」とはすなわち「大神」。「大神」に導かれ、自身の中に「大神」を発見し、彼女のすべては変わったということか・・・。


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