サロネン指揮ロサンジェルス・フィルのドビュッシー「海」ほか(1996.2録音)を聴いて思ふ

(没後100年の)ドビュッシーの年が間もなく終わる。
ドビュッシーが苦手だった僕を、ドビュッシー開眼に導いてくれた1枚。
あの独特の浮遊感を、明確な輪郭で、時に冷徹に描き切るサロネンの棒は、音楽の深層を厳しく抉る。「海」を聴いてみよ。
何という官能。天にも昇る想いだ。
第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」の音の諸相の優美さ、続く、第2楽章「波の戯れ」の音の変幻自在さ。そして、第3楽章「風と海の対話」における、見事な自然描写もさることながら、完璧に音化する指揮者とオーケストラの類稀なる力量。実に鮮烈。

いろいろ説はあるが、この作品が何に触発されて創造されたのか云々はこの際何でも良い。源が何であれ、ドビュッシーの手により緻密に描かれた音の風景が、僕たちに大いなる感動を与えてくれるという事実こそ大事なのである。

ドビュッシー:
・管弦楽のための「映像」
・牧神の午後への前奏曲
・管弦楽のための3つの交響的素描「海」
エサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団(1996.2録音)

管弦楽のための「映像」から「ジーグ」の嫋やかさ、流麗さ、また「イベリア」の、エキゾチックさと洗練さを併せ持つ知的な音遊び(第1曲「街の道と田舎の道」が素晴らしい)。そして、「春のロンド」から醸される至極真面目な愉悦。

地理的な条件や国籍が人間同士を物理的に隔てているとしても、そこでコミュニケーションの助けになるのは「ことば」ですよね。それぞれの楽曲は作曲家が使うことばによって書かれています、それは「音楽のことば」です。芸術家や鑑賞者はそのことばを介して作曲家の思いに触れます。ですから必ずしもその国の文化や環境そのものを、知識として知る必要はないんですね、むしろそれは楽曲のことばのなかに現れますから、そこを深く楽しめばよいのです。
「エサ=ペッカ・サロネンに聞く Vol.1」

「牧神」はエロスや退廃さを削いだ、とても快活な調べ。
音は艶やかで鮮明。
ドビュッシーの年が間もなく終わる。

 

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