カツァリスの「モーツァルティアーナ」(1992.2録音)を聴いて思ふ

katsaris_sony_recordings334触発されること。
そして、模倣すること。
その上での自分らしさ。
「自分らしさ」の追求は一生仕事。自由に飛翔することは自らで自らの責任を負うということ。真に自分らしさを保つ人は意識せずとも「勇気」を持つ。

これほど愛らしいアルバムが存在しようとは!
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトへの尊崇と敬愛が見事に刷り込まれた、軽快で可憐な「モーツァルティアーナ」という名の作品集。冒頭、ヨーゼフ・ゲリネクの「『魔笛』のパパゲーノのアリアによる変奏曲」の、まるでオルゴールのような美しさに感動。リスト編曲による「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の敬虔なる調べ(かつて高須博さんがコンサートのアンコールで演奏されたのを聴いたときには心底痺れた)。そして、カール・ツェルニーによる「フィガロのモティーフによる華麗な幻想曲」の、明朗快活、開放性はほかのどんな作曲家よりも自身がモーツァルトを愛しているのだと言わんばかり。アリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」の名旋律が跳ね、飛び回る。
さらには、ベートーヴェンの「『もし踊りをなさりたければ』による11の変奏曲」はほとんど知られることのない作品だが、これぞモーツァルトとベートーヴェンの協同作業の如し。悲しみと愉悦と・・・、あらゆる感情が優れた変奏とともに横溢するわずか7分半のめくるめく心地良さ。

いかなるときも私はモーツァルトの最大の尊敬者のひとりと自認してきたが、生涯の最後までそうだろう。
~ベートーヴェン

モーツァルティアーナ
・ゲリネク:「魔笛」のパパゲーノのアリアによる変奏曲
・リスト:アヴェ・ヴェルム・コルプスS674d
・ツェルニー:フィガロのモティーフによる華麗な幻想曲作品493
・ベートーヴェン:歌劇「フィガロの結婚」より「もし踊りをなさりたければ」による11の変奏曲ヘ長調
・タールベルク:ラクリモーサ~レクイエムK.626
・タールベルク:「ドン・ジョヴァンニ」のセレナーデとメヌエットによる幻想曲作品42
・ビゼー:お手をどうぞ~歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
・フィッシャー:田園舞曲「雷雨」K.534
・ケンプ:田園変奏曲
・カツァリス:モーツァルトを偲んで
・カツァリス:モーツァルティアーナ
シプリアン・カツァリス(ピアノ)(1992.2録音)

タールベルクによる「ラクリモーサ」に涙する。あまりの苦悩と哀しみを背負うモーツァルトのカルマとその解放!!また、「ドン・ジョヴァンニ」による幻想曲にみる音楽の拡がりと超絶技巧に感無量。
エトヴィン・フィッシャーの編曲もヴィルヘルム・ケンプのそれも実に美しいが、一層素晴らしいのがシプリアン・カツァリスその人の手による2曲。劇的な「モーツァルティアーナ」のうちの、K.283の可憐なモティーフがふと現れる瞬間のカタルシス。あるいは、後半部におけるK.467第2楽章アンダンテの主題が明滅する妙。
嗚呼、美しきかな。

モーツァルトが後世に与えた影響の大きさは計り知れない。

霊界の深淵へと私たちをみちびくのはモーツァルトである。恐怖が私たちを包むが、仮借を加えぬそれは、むしろ無限なるものの予感である。―愛とそして悲しみが、やさしい精霊の声の中に鳴りひびく。夜は輝かしい深紅色の顫光の中に消え果て、言うにいわれぬ憧れのうちに、私たちは、私たちを親しげにその列の中に招き入れながら雲を突き破って永遠の天空の踊りのうちに飛翔する姿のあとを追って進むのだ。
E.T.A.ホフマン/海老沢敏編・訳
モーツァルト事典(冬樹社)P175

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む