レーンホフ演出ケント・ナガノの「ローエングリーン」を観て思ふ

wagner_lohengrin_nagano_dsob「ローエングリーン」第1幕前奏曲の、まるで世界の生成を音化したような音楽は、たった10分ほどのものにもかかわらず、聴く者を恍惚の境地に誘う力をもつ。おそらくバイエルン国王もドイツ第三帝国総統も、微かな、極めて微細なヴァイオリンの旋律が始まったあの瞬間から金縛りにでも遭うかのようにワーグナーの世界に引き込まれていったのだろうと想像する。見事な「魔力」。

リヒャルト・ワーグナーの最大の信奉者であったのはルートヴィヒでもヒトラーでもなく、やっぱりコジマだろう。1869年の元旦から14年間にわたりほぼ毎日つけられた日記をひもとくだけで、完全なる自己犠牲の上に成り立った、真に純粋な愛をコジマは夫に捧げたのだということがわかる。しかし、人間である以上完璧なる自己犠牲など困難だ。自身の内に在る「エゴ」と闘いながら、それでも天才にすべてを委ねる健気な姿に心を打たれる。
そして、そういうコジマであるからこそだろうが、ほぼ最初の日時における「ローエングリーン」についての記述が興味深い。何と、コジマも第1幕前奏曲の最初の数小節で忘我に至るというのだから・・・。

リヒャルトの即興演奏。彼は「ローエングリーン」の前奏曲から始めて、そのあと「ニーベルンクの指環」のモティーフをいくつか弾き、またしてもわたしの心をすっかりとりこにしてしまった。わたしの心は、彼の音楽の光を受けて初めて開花する蕾のようなものである。
~1869年2月24日水曜日

今日リヒャルトに言ったことだが、わたしは実のところ「ローエングリーン」前奏曲をまともに聴いたことがない。それというのも、冒頭のいくつかの音を耳にしただけでいつも恍惚となってしまう。それでこの奇蹟のような音楽を他の普通の音楽のようには聴けなくて、いつも一種のヴィジョンとして体験することになるのだ、と。
~1869年2月25日木曜日

「ローエングリーン」第1幕を観た。きっかり1時間。
しかし、やっぱり僕はどうもこういうモダンな演出に「物言い」をつけたくなる。あまりに冷たく機械的な舞台装置に、現代の服装に身を包んだ登場人物たち。僕の感覚が古く、思い込みが強いだけなのかもしれないが、何せ舞台は10世紀前半・・・。

バーデン・バーデン祝祭劇場2006
ワーグナー:歌劇「ローエングリーン」
クラウス・フローリアン・フォークト(ローエングリーン、テノール)
ハンス=ペーター・ケーニヒ(ハインリヒ王、バス)
ソルヴェイグ・クリンゲルボルン(エルザ、ソプラノ)
トム・フォックス(テルラムント、バリトン)
ヴァルトラウト・マイヤー(オルトルート、メゾソプラノ)
ローマン・トレーゲル(王の伝令、バリトン)
マインツ・ヨーロッパ合唱協会
リヨン国立歌劇場合唱団
ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団
ニコラウス・レーンホフ(演出)(2006.6.1,3&5Live)

とはいえ、ケント・ナガノの指揮は前奏曲の最初の一音から神々しく、クライマックスに向けて念入りに紡がれてゆく様が一目瞭然で、それこそコジマが言うように「冒頭のいくつかの音を目にしただけでいつも恍惚となってしまう」
それと、例の「エルザの夢」からフォークト演ずるローエングリーンの登場シーンまでの(とってつけたような)ドラマの流れが、わかっていても感動的なのは僕が単に「ローエングリーン」好きだからなのかどうなのか・・・。
巷ではフォークトのローエングリーンは声量が弱い等様々言われるようだが、僕はどちらかというとこういう繊細な(?)主人公がいても良いように思う。

 


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