マリア・カラスのプッチーニ歌劇「ラ・ボエーム」(1956.8&9録音)を聴いて思ふ

みな出かけてしまったの?
わたしは眠ったふりをしていたのよ。
なぜかって、あなたと二人だけになりたかったから。
あなたにお話ししたいことが、たくさんあるわ・・・。
それともたった一つだけれど海みたいに大きいこと、
海みたいに深くて限りないの。
あなたはわたしの愛で、わたしのいのちのすべてよ!
(中村英紀訳)

プッチーニの「ボエーム」最終幕最後のミミの死の場面の、まったく隙のない音楽による描写に、僕はいつどんなときも途轍もなく感動させられる。特に、全盛期のカラスがミミを歌い、ディ・ステーファノがロドルフォを歌ったヴォットー指揮スカラ座管弦楽団による録音は、その強烈なエネルギーとパワーによって今でも忘れられない逸品であり、最後のシーンはカラスの見事な歌もさることながら、ディ・ステーファノの情感こもる熱唱が素晴らしく、いつ聴いても戦慄を覚えるほど。
完全無欠の二重唱。少なくとも個々の場面については彼らの右に出るものはいないだろう(と個人的には思う)。

興味深いことに、マリア・カラスは結局舞台では一度もミミを演じていないらしい。しかし、そのこなれた、ほとんど奇跡に近い、主人公ミミと同化した歌唱は、彼女が女優としても大変な素質を秘めた人だったことを思い知らせるもので、(それはもうどうにもならないことなのだけれど)(フルトヴェングラーのステージ同様)僕にカラスの舞台姿に触れ得なかったことの無念さを痛感させる歴史的音盤のひとつとなっている。

・プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
マリア・カラス(ミミ、ソプラノ)
ジュゼッペ・ディ・ステーファノ(ロドルフォ、テノール)
ローランド・パネライ(マルチェッロ、バリトン)
マヌエル・スパタフォーラ(シュナウド、バリトン)
ニコラ・ザッカーリア(コッリーネ、バス)
アンナ・モッフォ(ムゼッタ、ソプラノ)
カルロ・バディオーリ(ベノワ&アルチンドーロ、バス)
フランコ・リッチャルディ(パルピニョール、テノール)、ほか
アントニノ・ヴォットー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団(1956.8.3, 4&9.12録音)

イタリア歌劇の、お涙頂戴的悲劇的ドラマは長い間僕の苦手とした分野だったけれど、物語の筋の出来云々は横に置くとして、プッチーニの創造したあまりに叙情的で繊細な、その上、人間心理を見事に言い当てた音楽の移り変わりの妙味に、ある日あるとき震撼し、それを機に、プッチーニもヴェルディも、あるいはヴェリズモと呼ばれるオペラも僕にとってとても大切なひとつのジャンルになったのである。
そのきっかけを作ってくれたのが、マリア・カラスの「ラ・ボエーム」。

自分の言動にたいして、私はきちんと責任をとります。私は天使ではないし、天使を装っているわけでもありません。天使の役には向いていませんから。だからといって、私は悪魔でもありません。一人の女性であり、真摯な芸術家です。そういうふうに見ていただきたいと思います。
ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P352

当時、彼女にまつわるスキャンダルは後を絶たなかったそうだが、実際にはマスコミや周囲の嫉妬によって捏造されたものだったことが、後にわかる。カラスの真実というのは、それこそ芸術に命を懸けたひとりの女性であったということに尽きるだろう。

もうすぐカラス没後40年目の日を迎える・・・。

 

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