明るくいこう!

今日は何人かの就活学生に向けワンポイント講座を開いた。概ねうまくいったと思うのだが、最初の1時間ほどはしゃべりすぎたかなと反省している。

これは今日の学生たちにも話したことなのだが、面接においての面接官とのやりとりも全く同じことで、質問をする相手の様子をじっくりみながら適確な応対をしなければうまくいかない。日常のコミュニケーションでもそうだ。親子関係や恋愛についても然り。今日のような講義も面接も要はコミュニケーションなのである。他者へのサービス。いかにわかりやすく簡潔に具体的に伝えるか。一方通行はNG。それがポイントなのである。

セミナーの進行についても、講義ばかりだと飽きるし、ましてやあまり難しい話をすると受講生はついてこれなくなる。一番いいのは「体験的」実習をうまく取り入れながら進めていくこと。ゆえに、実習をし、その流れでアドバイスをするようにすると途端に学生の顔つきが変わった。人間は正直である。

それと、同じ事象を目の前にして「ポジティブ」な方向で引っ張れるか、「ネガティブ」な方向で引っ張るかという問題がある。例えば、実習をして「できなかった」人にフォーカスするのか「できた」人にフォーカスするのかという問題。僕は、今まで20年近くの癖があるようで、どうしても「できなかった」人に焦点をあててしまいがち。「なぜだめだったのか」、「ではどうすればいいのか」というテーマより「どうしてできるのか」、「どうやったらできるのか」というテーマの方が「明るい」し、みんなに与える印象もいいわけだからその方が良いに決まっている。根底に「愛」をもって臨むべきだということはわかっていた。でも、ついつい「職業病」だろう、悪い癖が出てしまうのだ。治さねば。反省。

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団

就職先を見つけるためにパリを訪問し、フルートが得意だった公爵と娘のために書いた若きモーツァルトの奇跡的な名曲。パリという土地に来てただ浮かれただけなのか、それとも類稀なインスピレーションを得たのか、こんなに典雅で明るいモーツァルトは珍しい。短調の暗いモーツァルトも素敵だ。意味深なアマデウスも素晴らしい。しかし、今日の講座のような状況に自分自身が直面するにつれ、人間というのは「明るさ」を失っちゃいけないと思うし、人間の「明」の部分に着目していくべきなんだろうとつくづく感じるのである。

突然ティーンエイジャーの頃を思い出した。素直で穢れない無邪気な頃は確か長調の明るいモーツァルトが好きだったな、と。だいぶ汚れているようだ。

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