デュトワのラフマニノフ第3交響曲を聴いて思ふ

rachmaninov_symphonies_dutoit作曲家の場合、後世に残る名曲、あるいは名旋律のひとつでも書けたら名前ともども大作曲家として認知される。それほどに耳に馴染む旋律を書くのは難しいことだと思うが、セルゲイ・ラフマニノフなどは、稀代のメロディストとして君臨する音楽家の最右翼であろう。しかも、彼の場合はどちらかというとピアニストが本業で、自作だけでなく過去の作曲家の作品を録音でも残し(さすがに古いが)、その意味でも世界中の愛好家に親しまれてきたのだから、音楽家としては歴史的に見てもトップクラスに入るひとり。

10代の頃、有名なピアノ協奏曲第2番を初めて聴いた時、一聴感動にむせび泣いた。特に、第2楽章アダージョ・ソステヌートの得も言われぬ哀しみを湛えた音楽は早速僕の心をとらえた。この音楽についてはそのときに聴いたルービンシュタイン独奏オーマンディ&フィラデルフィア管の名演奏がいまだに頭から離れない(最初に繰り返し聴いたことによる刷り込みだろうが)。それと、ヴォカリーズ。もともとはその名の通り歌曲であるが、こちらもマゼールがベルリン・フィルと録音した演奏に初めて触発されたせいか、僕の中では管弦楽曲というイメージが強い(この演奏がまたマゼールらしからぬ哀愁に満ちたものだった)。そういえば、最近聴いたバティアシュヴィリ&グリモーによるヴァイオリン版は涙も滴るような郷愁に溢れた絶品。

しかし、それらはラフマニノフのあくまで一面に過ぎない。ジョン・レノンが「イマジン」で代表されたり、ポール・マッカートニーが「イエスタディ」や「レット・イット・ビー」でくくられてしまうのと同様に、全作品のパーセンテージからするとこういう「甘い音楽」はわずかであり、ラフマニノフのもっと「革新的」な音楽をもっと多くの方々に聴いていただきたい。

そもそもラフマニノフはモスクワ音楽院きってのチャレンジャーだった。音楽院卒業後すぐに発表した交響曲第1番を聴いたらばそのことは明らか。初演は大失敗だったのだが、その原因が指揮者のグラズノフのせいにされたり、憶測は様々だが、いずれにせよ作品そのものが本質的に挑戦的、アバンギャルドであるのは最初の一音を耳にしただけでわかる。いかに指揮者が巧く振ったとしても、この音楽は当時の保守的な聴衆、批評家にはわからなかったのではなかろうか。

ラフマニノフの交響曲といえば、交響曲第2番。この冗長だけれど美しいメロディの詰まった作品は昨今の人気作らしく、ここのところの在京オーケストラの定期演奏会でもしょっちゅう採り上げられるが、それより僕は、第2番から30年を経て生み出された交響曲第3番に一票を投ずる。3楽章制でありながら、4楽章形式の様相も呈し、各楽章がほぼ均等に組み立てられると同時に絶妙な連関をもち、きわめて調和的で美しい音楽として作られている。哀感に富んだメロディあり、そして、いかにもロシア風の広大な大地を思わす荒涼とした旋律あり、どの瞬間もだれることのない、実に奥深い作品。

ラフマニノフ:
・交響曲第3番イ短調作品44
・交響的舞曲作品45
シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団(1990.10録音)

シャルル・デュトワがだいぶ前に収録した全集が随分長い間廃盤になっていたが、何年か前、タワーレコードのヴィンテージ・コレクションとして4枚組でリリースされた。喜ばしいことだ。第1楽章のチェロによる第2主題など、メロディスト、ラフマニノフの面目躍如たるもの。繰り返しこの旋律が顔を出すたびに、心が高鳴る。第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポも常々のラフマニノフ節満載。第3楽章アレグロの活気と躍動にも祖国への郷愁と愛情が刻まれる。彼は生涯ロシア人としてのアイデンティティを失わなかったんだ・・・。

生きるからにはやっぱりユニークでありたい。独創的でありたい。

 


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