何も考えずにただ音楽に浸る。
昔に比べ、そういうことが減った。いつも何かしらのフィルターを通して音楽を思考する。そんな聴き方が当たり前になった。退化かな、これは・・・。
「作曲家は、自分の生きている世界に無関心ではいられない。人間の苦しみ、抑圧、不正、すべてがわたしの思いのなかに顕れる。苦痛があるところ、不正があるところ、わたしは音楽を通じて言いたいことがある。」(1983年、尹伊桑)
尹伊桑(ユン・イサン)は作曲家というよりどちらかというと政治活動家に見られる。確かに彼の数奇な人生は興味深い。しかし、あえて彼のそういう表立った活動のことや、背面に流れる思想を無視して作品を聴いてみたらばどうだ。まるで、モーツァルトの音楽をひもとくかのようにだ。
現代音楽は、歴史が僕たちに近い分、いや、同時代を共有する分、どうしてもその意味を考えさせる。もちろん人間が生み出したものゆえ何かしらの意味はあるのだろう。思想だって入っているはずだ。しかし、そのことは一旦放棄してみるのだ。然らば、一体何が聴こえるのか?
たとえ彼の人生について詳しく知らずとも、傾聴すべし。そうすれば本人が言うような苦しみや悲しみ、あるいは抑圧されたものが自ずと聴こえる。僕は思う。音楽とは作曲家のその時の感情を伝えるだけでなく、魂まで伝え切るものなのじゃないかと。それはいつの時代の誰の音楽を聴いても同様。モーツァルトもベートーヴェンも、メンデルスゾーンもシューマンも、ブラームスもワーグナーも、歴史上に名を残す音楽家の作品ならばいずれもそう。
何も考えずに、ただ音楽に浸る。
尹伊桑:作品集
・協奏的作品~室内アンサンブルのための(1976)
・弦楽四重奏曲第5番(1990)
・幻想的小品~フルート、ヴァイオリン、チェロのための(1988)
・タピ~弦楽五重奏のための(1987)
・夜よ、聞け!~ソプラノと室内アンサンブルのための(1980)
リ・ヒャンスク(ソプラノ)
カン・リョンウン指揮ピョンヤン・ユン・イサン・アンサンブル(1999.5録音)
平壌のユン・イサン音楽研究所付属アンサンブルによる「協奏的作品」における慟哭の響き。妖艶な夜の音楽のような第5弦楽四重奏曲。巧い。「幻想的小品」の、3つの楽器がひとつに融け合う官能と、フルートの調べの何とも言えない寂寥感。
これらの作品には尹伊桑の良心の叫びが聴き取れるようだ。彼の心底には間違いなく「愛」があった。
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