バランスを崩してはいけないと思いつつも、自分への愛情と他者への愛のゼロ・ポイント(調和)を見つけることは難しい。まずは自分ありきなのか、それとも他人ありきなのか・・・(もちろん両方なのですが)。
フェリックス・メンデルスゾーンの作品は、モーツァルト同様、愛と慈悲に溢れる。そこには光があり、翳がある。そこはかとない哀しみが明滅し、いつ果てるともない美しいメロディが常に流れ、しかし最後は必ず変容し、解放されるという妙。見事なゼロ・ポイントの提示。
そういう、いわば完璧な作品を生み出すことに命を懸けたがゆえ、彼はある意味命を縮めた。幼少の頃からの厳しい教育は精神を圧迫し、多大なる緊張を与えたろう。祖父母や父母からの期待。そして、それにまた完全に応え得た彼の力量もすごい。さらに、ユダヤの血をもつことをなるべく表に出さないように努力したことも大変なことだったろう。そう、19世紀前半当時の、ヨーロッパにおけるユダヤ人排斥問題を真っ向から受けざるを得なかったあの時代に生きたがゆえの自己犠牲と鬱屈。その上に成り立つカタルシスのドラマがメンデルスゾーン芸術の真髄か・・・。
メンデルスゾーン:
・序曲「フィンガルの洞窟」作品26(1960.2.15-18録音)
・交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」(1960.1.22-28録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
SACDハイブリッド盤。スコッチ・シンフォニーの終楽章コーダのところで、僕はいつも思わずガッツ・ポーズをしたくなる(笑)。クレンペラー自身がこの部分に違和感を唱え、あらたに独自のコーダを書いたという曰くつきの場面だが、僕はこの突然の「光」こそがメンデルスゾーンの心であると言い切る。それまでの40分間は、まさに最後の2分半のためのものなのである。
聴きながらもうひとつ思った。実姉ファニーのこと。
フェリックスとは仲良し姉弟であったと同時に、当時の男尊女卑的(?)社会風潮(女性が音楽家として独り立ちすることは許されないというもの)も災いし、おそらく2人の間には音楽家としての確執はあったのではないかという独断的推測。姉の類稀な才能に感嘆しながらも、どこかで劣等感を抱いたかもしれないフェリックスの本音と、自身こそがメンデルスゾーンという名を担うんだという建前のせめぎ合い。やっぱり心労多々だったことだろう。
とはいえ、2人は間違いなくソウル・メイトだった(姉の急死後、半年ほどでフェリックスも逝ってしまうのだから)。「無言歌集」などはファニーとフェリックスの共作だという噂もあるが、真偽は別にして、やっぱり2人はひとつ。もちろんどの作品も名目上はフェリックス作でよろしい。ただし、僕の中ではいずれにもファニーの心血は注がれている。
メンデルスゾーンの音楽は神がかったものだが、ふと人間臭い側面を見せる(例えば、前述のスコッチの終楽章コーダもその典型)。それは、神様から与えられた才能を十分に生かしながら、一方で現世において酸いも甘いも人間的に様々な体験をさせられたことに依ろう。
※過去記事/2013年2月5日「メンデルスゾーン:スコットランド交響曲」
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誰かに聞こうと思って聞けなかったことですけど、Mozartのお姉さんも相当の実力があったのでは?お父様がお姉さんの作曲したものを弟の名前で売りだしたほうが得だと考えた可能性は?岡本さんよろしくお願いします。
>Judy様
なるほど確かに!盲点でした。
しかし、19世紀のロマン派の面々と異なり、資料がほとんど残されていないだろうところが判断に窮するところです。
ただし、ナンネルが1829年、78歳まで生きていることから考えると、もしも仮に彼女が父親の命で名前を伏せていたとしたら晩年になってそのことをどんな形であるにせよ語ったはずだと思うのです。ファニーは手紙や日記で不満等を述べているくらいですから。
ということで、モーツァルトに限っては姉ナンネルの協力は得ていないだろうと。独断と偏見です。(笑)
ありがとうございました。納得できるご説明でした。ファニーとナンネルには性格的にも大きな違いがあったことでしょう。