今宵、たった一挺の楽器の音を堪能する。
それはバッハから始まったことなのかどうなのか、勉強不足で史実は知らない。しかし、仮にそれがそうでなかったとしても、数百年の時を経て聴き継がれる彼の無伴奏作品は不滅だ。後世の様々な作曲家の感性を刺激し、インスピレーションを与え、おそらくどの作曲家もそれに負けじと挑み試みたであろう「形」。たったひとつで宇宙を形成するという奇跡。
例えば、ウジェーヌ・イザイのもの。バッハと同じく6つの作品が残されるが、それぞれが別のヴァイオリニストに献呈され、バッハのイディオムを上手く取り込みつつ、ある瞬間はそれを超えるという技を披露する。ジャック・ティボーに捧げられた第2番イ短調は、第1楽章「妄想」冒頭にバッハのパルティータ第3番前奏曲の主題を仕込み、それを縦横に展開する。この部分に触れるだけで金縛りに遭うかのよう・・・。おそらくクレーメルの圧倒的力量がものを言っているのだろうけれど、それにしてもイザイの音楽を構成するセンスというのには目を見張る。わずか10分ほどの時間の内に、古今のヴァイオリン・テクニックを集約させながら単なるエチュードに終らせず、音楽としてバッハに比肩するものを創造しているのだから。タイトルとは音調を異にし、崇高な第2楽章マリンコニア(憂鬱)。そして、ジョルジュ・エネスコに捧げられた第3番「バラード」は単一楽章で、極めて鋭角的だ。
イザイ:6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ作品27
・第1番ト短調(ヨゼフ・シゲティに)
・第2番イ短調(ジャック・ティボーに)
・第3番ニ短調「バラード」(ジョルジュ・エネスコに)
・第4番ホ短調(フリッツ・クライスラーに)
・第5番ト長調(マチュー・クリックボームに)
・第6番ホ長調(マヌエル・デ・キローガに)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)(1976.3.11&8.3録音)
第4番ホ短調の第2楽章サラバンドに涙する。序奏、あるいは中間で奏されるピツィカートの部分は主部の哀しみを(ここにもバッハが木霊するのだが)追慕する祈りのよう。とても不思議な音楽。
第5番ト長調の、「朝」と名づけられた第1楽章は、文字通り暗黒から姿を現す太陽のようだ。
嗚呼、第6番ホ長調のハバネラの旋律よ(「カルメン」が木霊する)・・・。何と懐かしい響きであることか。
若きクレーメルのヴァイオリンの何と繊細で、しかもストイックであることか。でありながら、いかにも妖艶であるところが素晴らしい。バッハとイザイが掛け合わされ、そこにクレーメルの血が付されることで稀代の名品となる。
削ぎ落とされて研ぎ澄まされて・・・、たったひとつの楽器の為せる業。
※過去記事/2009年4月20日:「イザイ、自然治癒」
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