ロストロポーヴィチのブリテン作品集を聴いて思ふ

britten_cello_suite_rostropovich同性愛者であったからかどうなのかわからないけれど、ベンジャミン・ブリテンの諸作品というのは女性性と男性性が混在する、いわゆる両性具有的要素に満ちるものが多いように感じる。あくまで個人的な感覚ゆえ明確な論証を挙げることは不可能だが。
例えば、チェロ作品。1964年に書かれた第1無伴奏組曲などまさにそのことの象徴。第1の歌から第3の歌まで、それぞれを序奏にし、各々2つの楽章が続くという特異な構成。強いて言うなら序奏がブリテンのもつ女性的な側面、そして楽章が男性的な側面を表すとでもいおうか。第1の歌冒頭の、どこか回顧的でしかも母性をくすぐる旋律を耳にするだけで一気にブリテンの世界に誘われる。その後の第1楽章「フーガ」、第2楽章「ラメント」のそこはかとない哀しみ、慟哭は男が何かを喪失した時の感情に近い。序奏の「歌」は後になるにつれ女性性が男性性に浸食されゆく、そんな様を表すようでとても興味深い(アタッカで演奏されるこの作品は、やはりすべてがひとつであり、「男も女もない、区別など不要なのだ」といいたげ。最後に至って、楽章と第4の歌が交わるのだ)。

多くは(すべて?)ロストロポーヴィチの演奏に感銘を受けて、あるいは触発され、まさにロストロポーヴィチのために創作されたもの。今やこの作品の録音は数多あるが、それでもいまだにロストロポーヴィチによる録音が随一、天下無敵の様相を示す。弦が唸り、泣き、そして咆える。本当に一挺の楽器による音とは思えない深みと美しさ。素晴らしい。

ブリテン:
・無伴奏チェロ組曲第1番作品72(1968.7録音)
・無伴奏チェロ組曲第2番作品80(1968.7録音)
・チェロ・ソナタ作品65(1961.7録音)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
ベンジャミン・ブリテン(ピアノ)

第2組曲の冒頭楽章は深刻だ。しかし、それがまたブリテンらしい。英国の独特のくぐもった雰囲気とスノヴィッシュな暗さ。ロストロの妖艶なチェロの音色によって箔が付けられ、きらきらと輝く音楽に変貌する。暗いけれど明るいんだ。何という矛盾。しかしその矛盾こそがブリテン自身の内側に在った矛盾と等しい。だから、ブリテンはロストロポーヴィチのチェロに惚れた。終楽章シャコンヌを聴いて思う。チェロを縦横に、自分の手足のように自由に操る様が目に見えるよう。何て巧いのだろう。

そして、作曲者自身を伴奏に据えたソナタ作品65。内容は極めて内省的。一切の虚飾を排し、ただ音楽のみを鳴らそうという試み。なるほど、ここではチェロとピアノが男と女の役割をそれぞれ担うということか。ロストロのチェロと完璧に一体となって音楽をするブリテンのピアノは超一流。
ちなみに、1972年に第3組曲が作曲されているが、録音時点では生まれていなかったので当然未収録。

 


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2 COMMENTS

木曽のあばら屋

無伴奏チェロ組曲第3番に
被献呈者であるロストロポーヴィチの録音がないのは極めて残念です。
作曲されたのは1972年であり、ロストロポーヴィチは2007年まで存命だったのに。

しかしこれには事情がるようで、
エルザベス・ウィルソン「ロストロポーヴィチ伝」(音楽之友社 2009年)には以下のような記述があります。

組曲第3番はロシア民謡を主題に取り入れ、愛国者で人道主義者のロストロポーヴィチ、自らの信念を貫き通す勇気を示した人物に捧げられている。この曲はおそらくロストロポーヴィチのために書かれたあらゆる作品の中でもっとも個人的で貴重なものだった。作曲者の死後、ロストロポーヴィチはほとんど第3番を弾けなくなった。ロシア正教会の聖歌「聖者たちと共に安らかに」が引用されているこの曲は、彼の感じやすい部分に触れ、胸の奥底にしまわれた喜びや悲しみの記憶を蘇らせたのだ。(239ページ)

あまりにもブリテンを敬愛していたので、悲しみのあまり封印してしまたのですね・・・。

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岡本 浩和

>木曽のあばら屋様
こんばんは。
貴重な情報をありがとうございます。
僕もどうして第3番を録音しなかったのか不思議で仕方なかったのです。
なるほど、そういうことですか!!

しかし、そうだとしても極めて残念なことには違いありませんが。(笑)

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