今日の東京は寒かった。
電車に揺られ、モーツァルトを考えた。
わずか35年という短い時間をあっという間に駆け抜けた天才は故郷ザルツブルクで、あるいは楽都ウィーンで何を思ったか・・・。おそらく僕らが考える崇高な彼はそこにはいまい。お下劣で剽軽で、そんなどうってことない人がいたはず。それでも音楽のインスピレーションを受けたその時のこの人は違った。何ものも耳に入らず、そして目にも止まらず、ただ天からの声だけが脳裏に響き・・・。そして、いくつもの作品を一気に書き上げた。
週末、岐阜県恵那市で「早わかりクラシック音楽講座」を開催する。モーツァルトがテーマ。
真に奥深い。深過ぎてどこからどう切り込んでいけばいいのか直前まで悩むことになりそうだ。
どうしてこういうものを持っているのか自分でもわからない音盤に出くわす。おそらくいつの時か誰かにいただいたものだろうと想像するが、封も切っていないものも多く、自分でも呆れるくらい。この機会にひとつ聴いてみた。エマニュエル・クリヴィヌが若い頃に録音したモーツァルト集。耳にして驚いた。「ジュピター」など颯爽としたテンポでありながら実に重心も安定しており、堂々たる名演奏ではないか。しばし聴き惚れた。
モーツァルト:
・交響曲第32番ト長調K.318(1989.1.29-31録音)
・交響曲第33番変ロ長調K.319(1989.1.29-31録音)
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1988.11.15-16録音)
エマニュエル・クリヴィヌ指揮フィルハーモニア管弦楽団
K.318とK.319はパリ・マンハイム旅行からの帰国後、ザルツブルクで書かれた。いずれも旅での見聞が活かされた、当時のモーツァルトの前向きな想いが転写された可憐で愉悦に溢れる音楽。K.318は3楽章とはいうものの連続で演奏される序曲風の短い作品。ほとんど実演では触れる機会が少ないものだと思うが、音楽は生命力に漲り、つい聴き惚れてしまう。K.319は名演だ。何とも柔らかで明快な音楽だけれど、生きることの切なさまで包括するような旋律が流れる。例えば、第2楽章アンダンテ・モデラートに聞こえるどこか寂しげな音調は、前年に亡くした母を思う気持ちの表れなのか。そして、メヌエット楽章の何とも澄んだ音色。フィナーレ、アレグロ・アッサイ(ベートーヴェンが第8交響曲の模範にしたそうだが、それも頷ける)まで淀みなく流れる音楽の玉手箱。
「ジュピター」は実に深い。テンポも理想。モーツァルト最後の交響曲らしく、すべてを悟ったかのような揺るぎない音楽が終始紡がれるが、これはひょっとするとフィルハーモニア管弦楽団の力量に依るのかも。弦楽器の音色はあまりに純粋で美しいし、管楽器の壮麗な響きも堪らない。それに第1楽章など、展開部から再現部に移り行くにつれエネルギーが格段にアップしてゆく様が歴然とわかるのだから興味深い。フィナーレも小気味良いテンポで音楽が大団円に向け一気に突き進む。
こういう音楽を「考えずに」生み出せたモーツァルトはやっぱり人間でない。
最近、モーツァルトが実に面白い。
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