もう20年近くになるんだ・・・。植村攻氏が著した「巨匠たちの音、巨匠たちの姿~1950年代・欧米コンサート風景」という書籍を読んで、感銘を受けると同時に羨望の想いが溢れたあの日のことを思い出した。1950年代当時、日本人は愚か、東洋人にすらまったく出逢うことはなかったというザルツブルク音楽祭やバイロイト音楽祭での記録が、あくまで個人的な視点にせよ実に詳細に(開演前のホールの様子から終演後の聴衆の熱狂まで)綴られており、古の巨匠たちの生音に一度でも触れてみたかったと思っていた音楽ファンはこの本を読んでおそらく誰しも僕と同じような気持ちになったことだろう。
さて、いよいよ7月26日、ワルターの夜になった。私たちは早めに夕食をすませて、ドーム広場を通って祝祭劇場に着いた。・・・(中略)・・・
8時の定刻をちょっと過ぎたころ、ステージも観客席も総立ちの中を、文字通りの万雷の拍手に迎えられてワルターが入って来た。・・・(中略)・・・
この晩の前半は、モーツァルトの「交響曲第25番(K183)」であった。・・・(中略)・・・私は固唾を呑んで聴いていたが、あまりに期待していたためか、聴き終ってから何となくしっくりしないものを感じていた。全体にちょっとテンポが遅いように思えた上に、ところどころで引きずるような重ったるさを感じたからである。
P35-38
少なくとも録音を聴いた限りでは「遅いとか、重ったるい」という印象は受けない。いや、しかしそんな比較はナンセンスだ。現代の僕たちはより様々な小ト短調シンフォニーに触れているわけだし、ましてや実演を聴いていた人の感想と古い録音を聴いただけの印象を同一線上で語ることはできないから。
しかしながら、すりガラスの向うで聴く(つまり古い録音で聴くということ)この25番は確かに老巨匠の棒であることを表しており、勢いというかパッションというものが幾分枯れているようにも感じる。第1楽章などどちらかというとせかせかとしたテンポで薄っぺらい音楽のように僕には思えるのだ(いや単にテンポの問題でなく、やっぱり開演当初はワルターのエネルギーがついていっていないのかも。とはいえ、実演なら絶対に違ったはず。羨ましき哉)。
モーツァルト:
・交響曲第25番ト短調K.183
・レクイエムニ短調K.626
リーザ・デラ・カーザ(ソプラノ)
イーラ・マラニウク(アルト)
アントン・デルモータ(テノール)
チェーザレ・シエピ(バス)
フランツ・ザウアー(オルガン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1956.7.26Live)
しかし、後半のレクイエムは違う。ようやくスイッチが入ったと思われるワルターの演奏はイントロイトゥス冒頭からはや涙に濡れる。後に続く壮絶なドラマが既に最初の音に集約される、そんな印象。中間部のデラ・カーザによるソプラノ独唱も心に突き刺さる。そして曲は進み、「ラクリモーサ」における深い祈りと絶唱と。
この辺りになると、ワルターはさすがに堂に入ったもので、ある時は神の怒りそのものが乗り移ったかのように、タクトを深く強く刻んでオーケストラやコーラスを咆哮させたが、それは到底80歳の老人の内面から出て来たものとは思えないような、怖いほどの威厳に溢れた激しさであった。ところが、次の瞬間、一転して天上の神に訴える謙虚で恭しい調べを歌わせるとなると、もうこれは彼の独壇場で、メロディのあやのすべてを歌手の歌い廻しの隅々にまで行き届かせ、限りなく優しく美しい法悦の世界を造り出した。激しい戦慄が平和な法悦を引き立たせ、それが溶け合いながらまた次に移る、千変万化のモーツァルトの豊麗な輝きに、この時ほど陶酔出来たことはない。
P40-41
何という的を射た、そして気高くもわかりやすい感想であることか。最後の大作、未完成の鎮魂曲においてもモーツァルトの魂は純粋で、しかも陰陽を超えていることをワルターは当然わかっていたということか。
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