カルロス・クライバーのベートーヴェン第5交響曲を聴いて思ふ

beethoven_5_c_kleiberカルロス・クライバーに関してはもはや賞賛の言葉しか見つからない。亡くなって早くも10年近くが経過するが、特に晩年ほとんど公に姿を見せなかったことを前提に、たとえ体調不良による不甲斐ない演奏を披露しただろうことを差し引いたとしても、少なくとも僕の認識では毎々神懸かり的音楽が聴衆の下に届けられた。そして、僕たちはいつも「それ」を待っていた。

カルロス2枚目の正規録音は、ウィーン・フィルとのベートーヴェン第5交響曲。このあまりの人口に膾炙した音楽を、彼の指揮による音盤で僕はこれまで採り上げていなかった・・・。第5交響曲を聴くなら最も取り出す回数が多いであろう音盤にもかかわらず。

楽聖のモチーフは「苦悩から解放へ」、あるいは「闘争から勝利へ」というものだ。しかし、ここに聴かれる音楽は闘争も勝利もほとんど同じ波動によって解釈される。すなわち、ハ短調である第1楽章の「運命」動機も、そしてその解放としてハ長調に転じるフィナーレもカルロスの中では何の変りもないことを示唆するような音楽が繰り広げられる。

何と、ベートーヴェンは端っから解放されていたということか・・・。いや、既にこの作品を書き上げる時点でもはや悟っていたとしか思えない、それほどに緊張感のある、しかも自由で、人々の心に訴えかける音楽が創造されていたことが驚異的なんだ・・・。

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1974.3&4録音)

43歳のカルロスが成し遂げた、いつ何時聴いても新鮮さが失われることのない孤高のベートーヴェン。この躍動感こそが蝶が舞うようなカルロス自身の指揮姿の投影であり、彼の音楽のすべてを包括する。
参考までに、かつての評論家諸氏の的を射た言を。

第2楽章ではリズムの要素の強調(第81小節以下)と、コーダのピウ・モッソ(第205小節以下)のアッチェレランドのもって行き方がじつに彼独特のものだ。そして、スケルツォとフィナーレのリズム感は、いかにもティーン・エイジャーの時期をラテン民族の陽気な踊りの中で過したことを思わせる。第1楽章の速目のテンポもそれと無関係ではあるまい。
柴田南雄著「レコードつれづれぐさ」

第2楽章も速いテンポですっきりと流したケレン味のない解釈だが、少しも無味ではなく、旋律は器楽的に歌われ、ピアニッシモは相変わらず強調されるが決してやせることがない。第3楽章では主題を支えるバスの思い切った強奏が独特であり、多少やり過ぎの気味はあうが、若武者らしくて気持ち良く、その後も内声のホルン強奏、再現部のピッチカートのデリケートなニュアンスなど、創造性にあふれている。
宇野功芳著「僕の選んだベートーヴェンの名盤」

クライバーには、硬質な響きがあり、それは響きの核そのものが裸で鳴っているような芯の硬さとでもいうべき性格をもっている。
「小林宗生・交響曲ディスク比較」~WAVE31カルロス・クライバー

 


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