クレンペラーの「田園」交響曲(1957)を聴いて思ふ

beethoven_1_6_klemperer_po_1957「田園」交響曲はベートーヴェンの交響曲中の最高傑作、いや、ことによると全作品の中でも「楽聖」の名に恥じないこれほど崇高な音楽はないと僕は確信しているのだが、演奏の難易度が高いらしく、もう何度も耳にしているのに「これは!」という実演に触れたことがたった2度しかない。最初が1989年4月6日の朝比奈隆&新日本フィル(その後も4,5回は触れているはずだが、あの時のものを超す演奏はなかった)によるもの、2度目が2007年4月21日に聴いた宇宿允人&フロイデ・フィルのもの(意外にも!)。いずれも軸のぶれない安定感のある堂々たる音楽でありながら、随所々々「歌」に溢れ、全世界・宇宙とひとつになるかのような錯覚に陥るほどの名演奏だった。

ところで、朝比奈隆という人は職人肌の人で、演奏の出来不出来も多かった。晩年など舞台にかけられる曲目は毎度同じようなもので、しかしそれでもいつ何時超名演奏に出くわすか予想がつかないものだから足繁く通ったものだ。

そういえば朝比奈先生は宇野功芳さんとの対談の中でオットー・クレンペラーに心酔していた時期があったと語られていた。

構成がしっかりしている。音楽ですから、情緒も感情もあるんだけど、そこに流されない。ことに、ブルックナーの交響曲はいい。あの人はモーツァルトもたくさんレコードに入れていますね。モーツァルトとブルックナーというと寸法が合わないみたいだけれども、スタイルとしては同じでとても勉強になるんです。ブルックナーを勉強していた時代には、クレンペラーのブルックナー録音をほとんど全部聴いていました。今でも全部持っていますよ。
ONTOMO MOOK「朝比奈隆 栄光の軌跡」P72

そう言う先生に対して、必ずしもクレンペラーのブルックナーを肯定していない宇野さんはすり替えるように話題を別のものにされているのだが・・・(笑)。

ここで朝比奈先生はクレンペラーのブルックナーについて言及されているが、ベートーヴェン解釈についても相当な影響を受けられたのではなかろうか。1950年代末から60年代頭にかけてウォルター・レッグの手によって録音されたクレンペラーの「ベートーヴェン全集」はいずれも名演揃いだが、特に「田園」交響曲の光に満ちる自然体の音楽は随一で、提示部の反復やテンポ設定、あるいは低音重視の姿勢など、ことごとく朝比奈芸術の根幹にあるものと同じにおいを醸し出しており、そのことは間違いないように思われる。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1957.10.28&29録音)
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1957.10.7&8録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

第2楽章「小川のほとりの情景」の何たる美しさ!!ヴァイオリン両翼配置が活き、そして弦楽器の分厚い響きに包み込まれるようにクレンペラーが最重視した木管群が各々「自然の歌」を見事に奏でるのだ。
終楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」のコーダのクライマックスにおける昇天、昇華では言葉にならない感動を覚える。

青春の調べである第1交響曲についても、少々大仰なきらいは否めないものの、実に懐の深い名演奏であると断言できる。最晩年少し手前の、クレンペラーがおそらく最も輝いていた時代の記録たち。座右の盤のひとつである。

 


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