ビーチャム卿のディーリアス「村のロメオとジュリエット」を聴いて思ふ

delius_a_village_romeo_and_juliet_beecham今年はウィリアム・シェイクスピア生誕450年の年。
彼の膨大な作品群のひとつひとつを具に読破したわけではないのでその真髄までを理解しているとは言えないが、晩年の主題の一つが「許し」であったことを考えると、この天才はやっぱり「真実」を理解していたのだろうと思う。

例えば、「ロメオとジュリエット」。いわば人間が拵えた思惑や概念に翻弄され、真実を追求できぬまま現世ではひとつになれない男女の悲恋をテーマにし、愛と死とが表裏一体のもので、魂に至ってはどんな瞬間もひとつであることを逆に訴えかけるようなドラマ。後世の、多くの音楽家もこの物語に触発され、様々に音楽を付した稀代の物語。

そういえば古来、死を選ばない限り魂は決してひとつには還れないというような迷信がある。肉体を持つ「人」は、結局分断されているのだという前提がいかにも・・・。
経験上、僕は思う。この世に在って「ひとつになること」は可能だと。人心の壁を超え、分かち合うことで真に触れ合えるのだと。

今年はフレデリック・ディーリアス没後80年の年でもある。彼が創作した6つの歌劇及び劇音楽の中で最も有名なものだろう、「村のロメオとジュリエット」を繰り返し聴いた。

ディーリアス:
・歌劇「村のロメオとジュリエット」(1948.5&7録音)
ドロシー・ボンド(幼年時代のヴレリ、ソプラノ)
ゴードン・クリントン(黒ん坊のヴァイオリン弾き、バリトン)
デニス・ダウリング(マンズ、バリトン)
ロアリー・ダイアー(ヴレリ、ソプラノ)
グラディス・ガーサイド(第2&第3の女、メゾ・ソプラノ)
ドナルド・マンロー(第1の小作人、バリトン)
マーガレット・リッチー(幼年時代のサーリ、ソプラノ)
フレデリック・シャープ(マルティ、バリトン)
ルネ・ソームズ(サーリ、テノール)ほか
・「海流」(ウォルト・ホイットマンの詩による)(1951.1.22&26録音)
ゴードン・クリントン(バリトン)
ロイヤル・フィルハーモニー合唱団
サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

シェイクスピア作品の翻案であるゴットフリート・ケラーの「村のロメオとユリア」が原作。第1場冒頭からワーグナーの熱にうなされる・・・(笑)。1900年から01年にかけて作曲されたこの作品は、19世紀末の多くの音楽家が大いなる影響受けたリヒャルト・ワーグナーの呪縛の内に在る。「音のうねり」から生じる「エロス」に降参状態(笑)。しかも第4場などはリヒャルト・シュトラウス風の音楽も出現・・・。夢の中での結婚式シーンを含めたサーリとヴレリの二重唱の官能・・・。第5場、定期市のシーンを経て、間奏曲「楽園への道」。何と静かで切ない音楽であることか!そして、クライマックスは決然とした音調に・・・。
第6場「楽園」(正確にはかつて「楽園」と呼ばれた庭園。今やホームレスがたむろする)はこのオペラの真骨頂。ここではドビュッシー風の音調が散見され、いかにもディーリアスらしい美しくも幻想的な音楽に釘付けになる。

「もうどこへも行くところがないわ、でもあなたなしでは生きて行けない、一緒に死にましょう」

ここでも・・・、女性は強い。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

ヴァグネリズムはヨーロッパ中を覆っていました。ドビュッシーがヴァーグナーを模倣するより、その先を開くことだと言っても、完全にヴァーグナーから抜け出せませんでした。未完に終わった「アッシャー家の崩壊」は自らリブレットを書いたものの、原作とはあべこべなものになりました。それが未完に終わった最大の原因です。
このディーリアスののものは、ヴァーグナー。トビュッシー、リヒャルト・シュトラウスのごった煮になったようですね。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパでの「ワーグナー熱」は半端じゃなかったようですね。
ありがとうございます。

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