プライス ルートヴィヒ オフマン タルヴェラ ベーム指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン ミサ・ソレムニス(1974.10録音)

ベートーヴェン本人が最大の作品だと自負した「ミサ・ソレムニス」。
出版から初演に辿り着くまでの紆余曲折、苦労は曲の性質が性質だけに常人には計り知れないものがある。
最初のスケッチは1819年の春にまで遡る。

1819年4月~5月 《ディアベッリ変奏曲》Op.120の第23変奏までの作業に直結して、《ミサ・ソレムニス》Op.123の最初のスケッチ(「ヴィトゲンシュタイン」スケッチ帖)。
《ディアベッリ変奏曲》の作曲は中断。

大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P357

ジャンルの異なるこれほどの巨大な作品たちを同時に生み出す深遠なる精神力に舌を巻く。
音楽の細部が決まって行く様、楽想はおそらく絶え間なく楽聖の脳みそを刺激したのだろう。ベートーヴェンはまもなく「グローリア」楽章のスケッチに移っている。

1819年6月頃 《ミサ・ソレムニス》キリエ楽章のスコア化作業と並行して、グローリア楽章のスケッチが始まる。
~同上書P359

そして、10ヶ月後には早くも初演が迎えられるのだと彼は夢想するのである。

まもなく演奏されるミサ曲(Op.123)に関して、謝金は125ルイ・ドール(1125グルデン)で、これは大きな作品です。
(1820年2月10日付、ジムロック息子宛)
~同上書P373

もともとルドルフ大公の大司教就任式のために作曲をはじめたものの、音楽の構想は想像以上に大きくなり、式には間に合わなかった。

1820年3月9日 ルドルフ大公:オルミュッツ大司教就任式
《ミサ・ソレムニス》の作曲、間に合わず。

~同上書P374

そして、ベートーヴェンが自ら「パンのための仕事」と称した、最後のピアノ・ソナタ群の作曲が、ミサ曲の作曲を中断してまでもその間、生活のために生み出されることになる(奇蹟!)

1820年4月30日 《ミサ・ソレムニス》クレド楽章のスケッチと並行してOp.109の作曲(夏までに全楽章のスケッチが完了)。
同年6月 《ミサ・ソレムニス》クレド楽章のスケッチ完了、すぐさまスコア書き下ろし(夏の間に完成)。

~同上書P381

しかし、ベートーヴェンの信念は、また信仰はやはり篤かった。
遅々として進まない筆ながらとにかくミサ曲のために骨を折ったのだ。

同年10月《ミサ・ソレムニス》ベネディクトゥス楽章およびアニュス・デイ楽章のスケッチ開始
~同上書P383

1821年初め 《ミサ・ソレムニス》最後となったサンクトゥス楽章のスケッチ開始。
~同上書P387

身を削っての仕事は残念ながら楽聖に病をもたらした。
それでなくとも精神的な苦悩はついて回ったろう、ベートーヴェンは心の内を叫ぶ。

すでに昨年以来、現在まで私はつねに病気で、この夏はその上、黄疸にもなりました。これは8月末まで続き、シュタウデンハイマー(主治医シュタウデンハイム)の指示により私はなお9月にバーデンに行かなければならず、同地域では間もなく寒くなりましたし、私は激しい下痢に襲われ療養を続けることができず、再び当地(ヴィーン)へ逃げ帰らざるを得ませんでした、現在は幸いにもよくなり、ようやく私を健康が、再び新たに活気づかせようとしているように思われます、再び新たに私の芸術のために生きるようにと。それはそもそも2年来、健康の欠如から、またたいへん多くのその他の人間的苦悩のために、ありませんでした。
—ミサ曲はもっと早くに発送されるところだったのですが、(中略)そういう状態には私は病にあって至らず、あまつさえ、私はそれにも拘わらず私の生計を考えるとさまざまなパンのための仕事(残念ながら私はこれをそう呼ばざるを得ません)を果たさざるを得ませんでした。

(1821年11月12日付、フランツ・ブレンターノ宛)
~同上書P390

傑作創造にまつわる具体的な事情が後世の僕たちの心に刺さる。
そして、様々な困難を乗り越え、それから1年後、ついに「ミサ・ソレムニス」は完成をみるのだ(《第九》《ディアベリ変奏曲》との三つ巴!!)。

1822年10月 《ミサ・ソレムニス》に関する主要な仕事が完遂(スコアは未完)。
※Sy.9に本格的に向かい始める。
※ただし、Op.120の仕事が1823春までまだ優先

~同上書P405

ちなみに、おそらくマネージャの役目を担った弟ヨハンの手紙には次のようにある。

彼は大作品に取り組んでおり、すなわち、新しいシンフォニー(Op.125)、オペラ(シュポルシルの《神殿でのジュピター・アムモン礼賛》)、大ミサ曲(Op.123)、これは彼がいままで書いた最大の作品ですが、ちょうど終えたところで。この冬に彼の演奏会でオラトリオのように上演するつもりです。
(1822年12月27日付、弟ヨハンのパリの出版社アントーニオ・パチーニ宛)
~同上書P411

この後、思うように売れない(当然だろう)作品に関し、1824年2月まで貴族たちへの手書き譜頒布の呼びかけが続く。そしてついにロシアの地で全曲の初演が成った。

1824年4月7日 《ミサ・ソレムニス》がサンクト・ペテルブルクで同地の音楽愛好家協会により全曲の初演(露暦3月26日)(ガリツィン侯が購入した頒布筆写譜を使う)
~同上書P443

大崎さんの丁寧な仕事によって、まるでベートーヴェンとともに同時代を生きているかのような錯覚を覚えるくらい。創作に関するノートの素晴らしさ!

カール・ベームの新しい方の「ミサ・ソレムニス」を聴いた。
結論、ベルリン・フィルとの旧録音に軍配が上がる。
老巨匠の晩年のスタイルが踏襲された、あくまでスタジオでの録音用の、(悪く表現すると)気の抜けた、独活の大木のような「キリエ」や「クレド」に失望。テンポが遅く重厚なだけでとても集中力に欠けた演奏は、聴いているこちらも集中力がまったく持たない。
しかし、作品の素晴らしさが功を奏してか、後半第4楽章サンクトゥス—ベネディクトゥス、そして第5楽章アニュス・デイは十分聴き応えあるのだから不思議。

・ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス作品123
マーガレット・プライス(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)
ヴィエスワフ・オフマン(テノール)
マルッティ・タルヴェラ(バス)
ペーター・プラニャフスキー(オルガン)
ウィーン国立歌劇場合唱団(ノーバート・バラッチュ合唱指揮)
ゲルハルト・ヘッツェル(ヴァイオリン独奏)
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1974.10録音)

強いて言えば、第4楽章第2部ベネディクトゥス冒頭のヘッツェルの独奏ヴァイオリンが聴けることがこの録音の価値だろうか。この柔らかくも泣きのヴァイオリン!もはやここは涙なくして聴けぬ箇所。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む