フィルクスニー&セルのザルツブルク音楽祭ライブを聴いて思ふ

szell_salzburger_orchesterkonzerte_1958モーツァルト劇場を主宰しておられた高橋英郎さんが亡くなられたそう。つい先ごろ、「モーツァルトの手紙」を読み、頻繁に採り上げていたものだから少し吃驚。
人間の一生などというのは宇宙の壮大な歴史から見ると点のようなもの。250年前のモーツァルトの物語だって、そういう観点に立つと昨日のことのようなのかも。
35年という短い時間ながら真に濃厚な人生を駆け抜け、そして数多の名作を生み出し続けた「神の子」の生き様を、実に楽しく描いて僕たちに教えていただけたその仕事にまずは感謝したい。
ご冥福をお祈りする。

ボローニャでチェンバロを楽しく聴かせてもらってからというもの、作曲でも大いに進歩されたことを喜んでいます。いっそうの練磨を続けられるよう祈っています。音楽は、生きているかぎり、本質的に訓練とたいへんな研究を必要とします。
1776年12月18日付、マルティーニ神父からモーツァルト宛手紙
P158-159

21歳のモーツァルトの天才はいよいよ飛翔する。ちょうどその頃生み出された「ジュノーム」協奏曲。1958年ザルツブルク音楽祭の記録。第2楽章アンダンティーノの哀しみが胸に迫る。

・モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271「ジュノーム」
ジョージ・セル指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1958.8.6Live)
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37
ジョージ・セル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1963.8.4Live)
ルドルフ・フィルクスニー(ピアノ)

終楽章ロンドの愉悦に欣喜雀躍した30数年前を思い出す。充実のモーツァルト。そして、彼が描いた音符のひとつひとつを大切に音化するフィルクスニーの見事なピアニズム。
その上、余計な感情を排し、極めて即物的でありながら実に有機的に響くコンセルトヘボウ管弦楽団の余裕の伴奏が心に突き刺さる・・・。残念なのはどうにも音圧が低く、音源そのものに薄っぺらさが拭えない点。

5年後のベートーヴェンは堂に入る。この極めて前進性の高い音楽の造りは当然セルのものだろう。しかし、それに一歩も引けをとらず、二乗するかの如くフィルクスニーのピアノがそこに覆いかぶさり、混然一体となって怒れるベートーヴェンを現出させるのである。
第1楽章のカデンツァの美しさ、そして第2楽章ラルゴの希望に満ちた音楽の何と夢見るような響き!!!

今宵は心地良い眠りに就けそうだ・・・。

 


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