トスカニーニのベートーヴェン交響曲第1番&第2番(1951)を聴いて思ふ

beethoven_1_2_toscanini_1951私が自分の最初のレコードとしてトスカニーニが指揮するベートーヴェンの「交響曲第1番」を買った時、父は批判的だった。「レコードを何枚も買う余裕はないのだから、後期の交響曲を選ぶべきだった。そのほうがより精巧にできている」。
「父・バルトーク」P290

ペーテル・バルトークは「父・バルトーク」の中で少年時代の体験を回想する。当時ビニール製でなかったレコードは壊れやすいということもあったが、バルトークは録音というものに、自身は民謡採集のために蝋管を使って録音再生していたにもかかわらず、非常に懐疑的だったらしい。以下、ベラ・バルトークの言葉。

世界の一流演奏家のレコードをただ聴いているより、未熟でもピアノで曲を学んだり演奏したりするほうが、はるかに精神的な満足を得られる。

工場の大量生産が手工業を根絶したように、機械音楽がライヴ演奏にとって脅威となるほど世界中に広まった時、真の苦しみが始まるでしょう。
~同上P292

確かに当時のバルトークの危惧もわからないではない。もちろん楽器が弾け、自ら音楽を奏でられるに越したことはない。しかし、どんなに電子書籍が発達流布しようと紙媒体がなくならないであろうように、録音機器が進歩し、現在のようにデータ配信という形になってどこでも持ち歩けるようになっても、ライヴ演奏の価値が失われることは今後も決してないだろう。当然、一聴衆として「音楽の再創造」を無心に享受することもとても重要なことだ。

音楽は時間と空間の芸術なんだ。その場に居合わせて、他の聴衆の咳払いや息遣いまでも含めて「音楽」なのだから。いずれにせよ、バルトークにはあと20年、いや、せめて15年長生きしてほしかった。

ペーテルが当時手にし、夕食後に父と一緒に聴いたというトスカニーニのベートーヴェンは、おそらく1936年のニューヨーク・フィルとのライヴ録音だろう。残念ながら僕の手元にそれはない。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1951.12.21録音)
・交響曲第2番ニ長調作品36(1949.11.7&1951.10.5録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

ハ長調交響曲。若きベートーヴェンが世に問うたこの自信作を、トスカニーニは極めて前傾姿勢で突き進ませる。ダイナミクスの幅も半端でない。フォルテの研ぎ澄まされた、熱波の如くの響きに久しぶりに僕は心動かされた。耳の病を発症しながらも、意に介せず、どこ吹く風とばかりに自身の堂々たる未来を思い描く青年ベートーヴェンの姿がここに見事に再生される。とにかく前のめりなのだ。

ベートーヴェンは革新を追った。世間の風潮には左右されず、自身が信じる道を歩み続けた。楽聖のその「想い」を巧みに音化したトスカニーニの類稀な技術に魅せられる。ようやくトスカニーニの「意義」がつかめたよう・・・。

そして、冒頭から火を噴くニ長調交響曲。何という壮絶さ、何という怒り!!第2楽章ラルゲットがいかにも淡々とそっけなく進められるが、ここは青春の息吹だ。これほどの「癒し」と「希望」が他にあるか・・・。スケルツォは躍動する。フィナーレ、アレグロ・モルトの、正確無比でありながら決して機械的でない音楽の神々しさと言ったら・・・。

しかしやはり、トスカニーニはライヴでないと真意は捉え切れない指揮者だろう。いや、トスカニーニに限らず録音物は実演には比肩し得ない。つまりは、機械録音がライヴ演奏にとって代わられることは永遠にない・・・、ということだ。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

カラヤンはトスカニーニを手本としていました。「ドイツのトスカニーニ」の異名を取るほど、トスカニーニの音楽解釈を取り入れ、20世紀のオーケストラ演奏の基礎を築きました。その意味でもトスカニーニの存在は偉大ですね。

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