インマゼール&アニマ・エテルナのシューベルトを聴いて思ふ

schubert_symphonies_immerseelシューベルトにとってベートーヴェンは同時代に生き、同じ土地の空気を吸った「師」という存在に近かったと想像するが、モーツァルトに関しては手の届かない雲の上の人、すなわち「神」のような存在だったのではないだろうか・・・。
例えば、彼の初期の交響曲などを耳にすると、明らかにベートーヴェンの形式をなぞろうとする努力が垣間見られる一方で、おそらく当時はまだまだ哲学的な色濃さを残し、決して人気が高かったわけでなく、前衛とみなされていたであろう最晩年のモーツァルトの魂が引き継がれているようで実に興味深い。
いち早く進取の精神をもち、しかもそれを具現化しようとしたところにシューベルトの天才があるのかも。

そもそも17歳や18歳でゲーテの詩に付曲する才である。しかもそれが1曲や2曲でなく、1年の間に百数十曲という単位で歌曲を残すのだからある意味異常だ。創造の泉が枯れるどころか沸々と湧き出でたその同時期に彼が書いた第2交響曲こそに哀感深いモーツァルト的愉悦を僕は見る。

シューベルトの場合、どんなに明るい曲調で創造を試みようと必ず随所に苦悩が顔を出すのだから面白い。いや、あるいはそれは聴く者の状態、状況にも依るのかも。少々穿った見方だけど。

シューベルト:
・交響曲第4番ハ短調D417「悲劇的」(1996.12.1-2録音)
・交響曲第2番変ロ長調D125(1997.1.29-30録音)
ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ管弦楽団

インマゼールの音楽作りが一層輪をかける。いわゆるピリオド奏法についてはどちらかというと僕は得意な方でなく・・・。しかしながら、この録音が話題になった90年代末に一聴度肝を抜かれたことを思い出す。何という鋭角的で見通しの良いシューベルトであることか。
調性といいスタイルといいもちろんベートーヴェンの影響はある。しかし、内容的には当時彼が気に入っていた「魔笛」などの影響が強いように僕には思える。シューベルトのあの歌謡性、あるいは旋律美というのはモーツァルトを追った結果ではないのかと。そして、すでにここにシューベルトらしさの萌芽が・・・。

すべてを受け入れ、そして不要なものを捨て、自らの道を見出したシューベルトの本性。
インマゼールはどこかでそのことが「わかって」いるのでは??

神戸のとあるホテルにて考える。

 


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