ラローチャのグラナドス「ゴイェスカス」ほかを聴いて思ふ

granados_falla_mompou_larrocha三たびスペインに思いを馳せる。
何と柔らかく開放的で明朗な音楽であることか。エンリケ・グラナドスの組曲「ゴイェスカス」は、先のイサーク・アルベニス同様独特のスペイン情緒に溢れるが、彼に比してより前世紀的で浪漫的な響きを持つ。また、ふとした瞬間に垣間見る悲しげな暗澹たる音調(例えば第5曲「愛と死(バラード)」)も後のフェデリコ・モンポウとはまた違った印象を与える。もちろんそれらがショパンやシューマンや、19世紀の大作曲家の影響下にあることは間違いないのだが、グラナドスのより個人的な嗜好や想いがどうにも反映されているように思えてならない。

この組曲が、スペイン最大の画家のひとりであるフランシスコ・デ・ゴヤの絵画からインスパイアされたことは周知の事実。しかし、ゴヤの絵はあくまできっかけに過ぎず、そこに見た彼自身の内なる感情の発露が実に見事に音化される。もちろんグラナドス自身が「僕はゴヤの心とパレットに惚れた。彼とアルバ公爵夫人に。彼のモデルたちに、その争いに、いろごとに、愛の言葉に」と手紙に認めている以上、そのこと(感情の発露)は本人すら意識しなかったこと。たとえ作品タイトルで「ゴヤの絵風」と訴えても、音楽そのものは嘘をつけない。本人が想像する以上にプライベートなものなんだ・・・。

1916年3月24日、時は第1次大戦中、英仏海峡でドイツ軍の潜水艦の攻撃に遭い、乗っていた客船が沈没する。一旦救命艇に乗るも波間に妻を発見し、助けるべく海に飛び込み、そのまま帰らぬ人になったのだと。享年48歳。若過ぎる・・・。人として当然の行動ではあるが、情熱や愛や、そして喜びや悲しみや、グラナドスという人のそういった感情のすべてがまさに作品に刻み込まれる。

スペイン舞曲集の第5曲「アンダルーサ」が心なしか哀しく聴こえるのだ。
グラナドスの音楽は極めて個人的なラヴレターのようなもの。

グラナドス:
・ピアノ組曲「ゴイェスカス」
・スペイン舞曲集より第5曲「アンダルーサ」
・スペイン舞曲集より第6曲「ロンダーリャ・アラゴネーサ(ホタ)」(1994.3.25-28録音)
ファリャ:
・スペイン舞曲第1番~歌劇「はかなき人生」より
・ペドロ親方のシンフォニア~歌劇「ペドロ親方の人形芝居」より(1992.4.27-29録音)
モンポウ:「歌と踊り」より
・第1番(歌:幼い花嫁/踊り:カステルテルソルの踊り)
・第3番(歌:聖母の御子/踊り:サルダーナ)(1992.11.28&29録音)
・第14番(歌:私が小さかったとき/踊り:オリジナル)(1993.3.31&4.2-3録音)
アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)

ファリャの音楽は一層踊り狂う。
そして、モンポウの囁きかける「静けさ」と「祈り」の深さに思わず跪きたくなる。自作自演とは違った意味で「敬虔な」意志が働く円熟のラローチャの名演。

 


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1 COMMENT

畑山千恵子

「ゴイェスカス」はオペラとなって、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場で初演されました。グラナドスは当初、スペイン直行の船便を予約して、スペインへ帰国することになっていました。ピアニストとしてのグラナドスの名声もあまねく知れ渡っていましたので、当時のウィルソン大統領はホワイトハウスでのコンサートを開いてほしいと希望し、グラナドスはホワイトハウスでコンサートを行って、イギリス経由で帰国することになりました。
そして、悲劇の時となりました。スペインへ向かっていた船がドイツの潜水艦戦の犠牲となり、妻を助けんとしたグラナドスも犠牲になりました。
グラナドスは、アルベニス生涯最後の大作「イベリア」の一つとして作曲したものの、未完となった「アズレホ」を補筆完成させました。アルベニスが亡くなったのが1909年、グラナドスはその7年後、1916年、第1次世界大戦の犠牲となって亡くなったことを思うと、グラナドスの方が悲劇ですね。

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