ガーディナーのサン=サーンス、フォーレ、ドビュッシー&ラヴェル合唱作品を聴いて思ふ

faure_saint_saens_debussy_ravel_gardinerフランス近現代の合唱曲たち。中世・ルネサンスの時代から滔々と流れるポリフォニー様式の合唱音楽の美しさに耳を奪われる。サン=サーンスからフォーレを経て、ドビュッシーやラヴェルにつながる数十年の「奇蹟(軌跡)」が、わずか数十分で語られるよう。各々が個性的で、しかも世代から世代へと進化、深化してゆく様が見事。

1904年11月24日付、サン=サーンスがフォーレに宛てた手紙の一節。
厳しい批評をするためには、好きではないものの価値を尊重することを覚えなくてはいけません。・・・(中略)・・・とにかく、大作曲家というのは、そんなにいるわけではないのですから、彼らをけなすことについては、ほかの人たちに任せましょう。その場合でも、けなしっ放しということは、ないでしょう。
ジャン=ミシェル・ネクトゥー編著/大谷千正・日吉都希惠・島谷眞紀訳「サン=サーンスとフォーレ往復書簡集1862-1920」P138-139

これぞまさに「美点凝視」。判断に感情は入れるなと。そういうサン=サーンスこそドビュッシーを散々けなしているように思わなくもないが、そのことはとりあえず横に置くとして、友への素晴らしい助言。この人の思考の癖や人間性はわからないが、創造物は極めて崇高で明朗、かつ調和に満ちる。

「夜の静けさ」作品68-1の、第一節「夜の静けさ 夕暮れのさわやかさ」における深淵から湧き出る一条の光の如くの「声」は、サン=サーンスの真骨頂。第二節「太陽の光 快活な華やぎ」での感情の奔流との見事なバランスに魂が震える。
「花々と木々」作品68-2は、大自然への大いなる讃歌。

永遠なる自然よ
お前は苦悩のただなかにあるとき
最も美しく思われる

森羅万象すべてへの感謝を表し、そしてこの世がすべて表裏一体であることが清らかな旋律を伴って歌われる。

フォーレ:レクイエム作品48(オリジナル版:第2版)
サン=サーンス:
・夜の静けさ作品68-1
・花々と木々作品68-2
フォーレ:4声のためのマドリガル作品35
サン=サーンス:並木道の足跡作品141-1
ドビュッシー:シャルル・ドルレアンによる3つの歌
ラヴェル:3つの歌
フォーレ:魔神たち作品12
キャサリン・ボット(ソプラノ)
ジル・カシュマイユ(バリトン)
サビーヌ・ヴァタン(ピアノ)
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストレル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティーク

フォーレの「マドリガル」作品35は、「ラシーヌ讃歌」にも通じる簡潔さと優美さ、そしてポピュラリティ。男の弱さを嘆くアルマン・シルヴェストルの詩が良い。条件付けの愛には慈悲などない。

ぼくらの悩みを 無慈悲にも
笑ってのける心ない女たちよ
愛しておくれ 愛したなら愛しておくれ

ガブリエル・フォーレはこと音楽に対しては真面目で、正義感が強かったよう。先のサン=サーンスの手紙に対する返信に次のようにある。

若い音楽家の中でもけっこう多くの人が天才があると信じていて、私たちが才能をみがくことをすすめても、彼らは私たちをしめ出してしまうのです。
1904年12月7日付、フォーレからサン=サーンス宛手紙
~同上書P140

すべてはとは言わぬまでも、弛まぬ努力こそ成功の秘訣第一だと。少なくとも若いうちは・・・。そのフォーレの弟子でもあるモーリス・ラヴェルの、例えば「3つの歌」から第2曲「楽園のきれいな三羽の鳥」は極めつけの美しさ。ラヴェルにも大変な努力があった。パリ音楽院では決して手離しで認められていたわけではなかったし・・・。おそらく学校という「枠」には収まり切らなかったのだろう。

よい生徒で、感情豊かに温かみのある演奏をするが、つねに完璧にコントロールできるわけではない。
才能と温かみ。激情に走り過ぎる。
むらのある勉強。
アービー・オレンシュタイン著・井上さつき訳「ラヴェル生涯と作品」P25

それにしても「声」というのは何と温かいのだろう。そして、複数の声によって紡がれる音楽というのは何て美しいのだろう。

 

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