クルト・マズアのメンデルスゾーン「聖パウロ」を聴いて思ふ

mendelssohn_paulus_masur圧倒的臨場感と崇高な信仰心の坩堝。
オラトリオ「聖パウロ」が初演以降大変な人気を得、様々な機会に演奏された理由がよくわかる。
ファニーの視点から作品周辺をひもとくと面白い。

父の顔はとても美しく、変わらず安らかだったので、私たちは恐れを抱くことなく、しかもまぎれもない高揚感に満たされて愛する父の遺体に寄り添うことができた。表情全体はとても安らかで、額はとても清らかで美しく、両手はとても柔らかかった。これは義人の最期であり、みごとな羨むべき最期だった。
山下剛著「もうひとりのメンデルスゾーン~ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」(未知谷)P119

1835年11月19日の、父アーブラハムの急逝をきっかけに、フェリックスが(父が望んでいた)作曲の筆をさらに進めた「聖パウロ」の根底に流れるものも、このファニーの父の遺骸に対する想い(描写)に通じる「安寧」だ。
もちろんフェリックスは、直後数週間にわたって作曲できなかったという。しかしながら、父の想いを実現することを胸に秘め、そしておそらくファニーの後押しもあっただろう創作行為を、それまでになくエネルギッシュに、かつインスピレーション赴くままに押し進めたのだ。

悲痛な出来事があれば欣喜雀躍たる出来事も訪れる。1835年10月4日、フェリックスはゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者としてデビューを果たす。以後の彼は、指揮者、ピアニスト、ヴァイオリニスト、そしてオルガニストと、八面六臂の活躍を見せ、絶頂の時期を迎えるのである。そして、翌1836年5月22日、ニーダーライン音楽祭にて「聖パウロ」初演。空前の大成功を収める。

楽旅を共にしたファニーはホームシックにかかりながらも忙しい日々を送る。

女には夫や子どもがいっしょでなければ楽しい旅なんてあり得ないと、よくわかった。だから今後は必要がなければ二人のうちの一人から、または両方からもう二度と離れようとは思わない。
~同上書P122

彼女もフェリックスもひとりの人間。どんなに才能豊かで、神の遣いたるクリエイターだとしても「誰かを必要とすること」は他の何人とも変わらない。というよりメンデルスゾーン姉弟は、過去のいじめや宗教的問題からの疎外感から、人一倍人とのつながりを求めたのだろうと僕は想像する。

そのことは、バッハやヘンデルなど、過去の巨人を規範にした「聖パウロ」が、限りなく崇高で聖なる音楽でありながら、どこか寂謬感に溢れる「人間らしさ」を持つことから感じ得る。

第16曲コラール「目覚めよと、呼ぶ声がある」を、朗々と歌われるバッハのコラール「シオンは物見らの歌を聞き」(カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」より)と比較してみると実に興味深い。あまりに堅牢で聖なるバッハに対し、聖俗が見事にバランスよく表現されるメンデルスゾーンの妙味・・・。

目覚めよと、呼ぶ声がある
塔の上高い物見の声だ、
目を覚ませ、エルサレムの町よ。
目覚めなさい、花婿が来る。
立ち上がれ、あかりをとれ。
ハレルヤ。
用意せよ、
永遠への。
出迎えよ、あの方を。
(樋口隆一訳)

メンデルスゾーン:オラトリオ「聖パウロ」作品36
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノⅠ)
ローゼマリー・ラング(ソプラノⅡ)
ハンス・ペーター・ブロホヴィツ(ステパノ、アナニヤ、バルナバ、テノール)
テオ・アダム(聖パウロ、バス)
ゴトハルト・シュティール(偽証者、バスⅠ)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(偽証者、バスⅡ)
ライプツィヒ放送合唱団
ゲヴァントハウス児童合唱団
クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1986.12.8-17録音)

メンデルスゾーン所縁のゲヴァントハウス管弦楽団による「聖パウロ」。この畢生の大作は本当に隅から隅まで音楽的で、喜びに満ちる。ヤノヴィッツが、ラングが、そしてアダムが精魂込めて歌い、マズアが命を懸けて指揮する様が手に取るようにわかるのである。1時間半以上の集中の後、第2部第45曲最終合唱など、聴く側も普通ならば疲労の果てにあるところだが、これほどに力の抜けた絶唱が他にあろうか・・・。何という透明感、そして静けさ(あるいは愉悦)。

ちなみに、メンデルスゾーンがいかに日常的に、特に家族の中で抑圧されていたかも、この頃の出来事に見事に現れる。
彼は、1836年9月9日に、フランクフルト・アム・マイン在住のセシル・ジャンルノーと婚約し、翌3月26日に家族の誰にも紹介することもなくそのまま結婚してしまう。どうやらそれは母親の干渉から逃れるためだったらしい。
メンデルスゾーンの作品が常に開放感に溢れ、その一方で、どうにも微妙な閉塞感を思わせるのは(幸福感に満ちる一方でどこか寂しげな表情を見せるのは)彼のそういう体験や事情に依るものなのだとあらためて確信。
やっぱり「すべての体験は贈りもの」なのだ。

 

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3 COMMENTS

畑山千恵子

これは推薦版としてお勧めいたします。マズアは、メンデルスゾーン・ハウス再建に尽力しました。ただ、最近、マズアは体力が衰えてきて、指揮活動が少なくなったようです。

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