堀米ゆず子 鈴木大介 沼尻竜典指揮都響 武満徹 スペクトラル・カンティクルほか(1998.7録音)

実際にそれを爆発させることは滅多にないけれど、彼の内部には、いつでもああいう爆発に導かれかねない内的矛盾のようなものがある。内的苛立ちがある。若いときは、通常は、もの静かな青年だったけど、そういう危険な激情を内部に秘めている感じが表にも出ていた。いまは外見からはそういう感じが消えてるけど、でも、やっぱりそういうものを依然として根っこのところに持っている。
(谷川俊太郎)
立花隆「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋)P183

僕たちが知る、大成してからの武満徹の風貌からは想像もつかない激性が彼の内側には常に流れていたようだ。芸術家とは本来そういう性質がないと生み出すことのできないものなのだろうと思う。

浅香夫人の回想が興味深い。

若いときは短気で、しょっちゅう怒ってましたよ。何か気にくわないことがあると、物はパーッと投げて壊しちゃうし、黙ってプイとどこかに出て行って帰ってこなかったりする。でもおかしいんです。どこかに行くなんていっても、そうそう行くところがあるわけじゃありませんから、だいたいどこに行ったか見当がつく。まあ、たいていは映画なんです。結婚してはじめの1年間が洗足池。次の5年間は鎌倉に住んだんですが、その頃鎌倉には4つの映画館があったんです。
~同上書P183-184

カーッとなって爆発しても、次の瞬間は何もなかったかのようにケロッとしている。(ベートーヴェン同様)典型的なアダルト・チルドレンのタイプであることがわかる。立花さんの、じゃあ、ケンカの修復は早い?という問いに、彼女は次のように答えている。

早いです。そうじゃないと仕事ができないんだっていいますね。作家の方の場合は、奥さんとうまくいかなかったりして、日常生活が修羅場でも、かえっていい作品が書けたりするってよくいいますね。傑作を書いた人の家庭が地獄だったなんて。でもウチはよくいうんですけど、音楽は絶対ちがうって。音楽は基本的にハッピーでないと絶対できない仕事だって。ベートーヴェンなんかは、不幸な生活の中で苦悩しながら作曲したといわれますけど、あれもウチにいわせると、そうじゃないんだって。作曲しているそのときの状態は、絶対落ちこんだりしていなくて、高揚した気分だったはずだって。そうじゃないと音楽はできないっていいます。だから、いくらケンカしても、必ず仕事の前に仲直りします。
~同上書P184

聖俗わきまえる心構え(?)、これぞ武満の創造の秘訣であろう。

武満最後のオーケストラ作品となった「スペクトラル・カンティクル」の静かな奔流が、生への希望を表わす(若い頃から常に死と隣り合わせにあった武満の主題!!)。この、秘められた激しい音の爆発こそが、武満徹生来の音なのである。

武満徹:オーケストラ作品集V
・ヴァイオリン、ギター、オーケストラのための「スペクトラル・カンティクル」(1995)
・オーケストラのための「星・島」(1982)
・オーケストラのための「夢の時」(1981)
・「グリーン」(1967)
・「樹の曲」(1961)
堀米ゆず子(ヴァイオリン)
鈴木大介(ギター)
沼尻竜典指揮東京都交響楽団(1998.7.27-29録音)

東京芸術劇場での録音。
早稲田大学創立100周年を記念して委嘱された「星・島」については、個人的に思い入れが強い。在学当時、ワセオケに所属していた友人が、ベルリンのフィルハーモニーでこの曲を演奏し、そのときの感激の様子を具に語ってくれたことをつい昨日のことのように思い出す。まるで鎮魂曲のような冒頭のコラールからの突然の爆発が武満らしい。静かな音響の中で、無防備に音が破裂する瞬間の、武満の内面の高揚感を想像するに感無量。沼尻指揮都響の演奏は実に洗練の極みだ。

武満の音楽には、本人の言葉通り、いつどんなときも「詩」がある。
しかも、単なる詩の描写ではなく、詩にインスパイアされた音の綴れ織りであり、宇宙を髣髴とさせる無限の広がりがあるのである。例えば、「樹の曲」について、武満は次のように語る。

樹という言葉は〈生命の樹〉あるいは〈樹のように熟する〉といった意味でつかわれています。私は、閉ざされた自己の内部で小さく完結してしまうような音楽を書きたくありません。
~COCQ-83156武満徹によるプログラムノート

言葉の背景にある真実を見極めることが大切だ。
音楽の背景についても然り。

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