
古井由吉さんが「所が所のモーツァルト」というエッセーで次のように書かれていた。
そんなことよりも難儀なのは、音楽を語ることは沈黙を語ることだ、という帰結である。音楽がそこから立った沈黙と、立った音楽がさらにまたひろげる沈黙とを、語らなくてはならない。言葉そのものが、文の声そのものが沈黙をふくみ、わずかに滴らせなくてはならない。ところがこれが表現の、至難の域に及ぶ。ただの物音でさえ、それが多少の情をともなって耳につく時には、沈黙を動かしている、沈黙の淵を一瞬ひらく。身の内に、また地平の果てまで。
~「モーツァルト 18世紀への旅 第4集 聖と俗の坩堝」(白水社)P133
土台、言葉と音楽とは相反するものだ。いずれも人の心を動かす力を持つが、文字通り「有無を言わせぬ」名文、名曲は古今東西そんなには存在しない。古井さんはこう言って締める。
ところで、ロックなどをガンガン鳴らしながら、じつはモーツァルトを聞いているのだと大まじめに答える人間は、いないものか。
~同上書P133
何と面白い視点!
モーツァルトとはおそらくは音楽史上唯一の奇蹟なんだと思う。
あるいは、高橋英郎さんは、「変転する『ジュピター音型』」の中で次のように言う。
たとえば、『魔笛』のパパゲーノのアリア〈恋人か女房がいれば〉の主題によく似た旋律が、5歳のときの『アレグロ』ヘ長調K1cにすでに出てくること、そして、その旋律がボヘミアの楽士から聴いたチェコの歌からヒントをえていること、などを知ると、あの『魔笛』の愛すべきひと節が、時間的にも空間的にも広大な拡がりを持ってくる。幼いヴォルフガングの胸のなかには、すでに『魔笛』の世界が内に秘められていたかと思うと、言うに言えない感動を覚えるのである。
~高橋英郎著「モーツァルト—遊びの真実」(音楽之友社)P105-106
いかに魂が不変であり、不滅であるかを物語るエピソードだ。モーツァルトはわずか35歳で夭折したが、5歳のモーツァルトの魂も35歳のモーツァルトのそれも何ら変わることのない創造主の分霊であり、永遠なのであった。
モーツァルトの作品に初めて登場する「ジュピター音型」は、『交響曲1番』変ホ長調K16である。ロンドンで、王妃シャルロットに6曲のソナタを自費出版して献呈した、8歳のころの作品である。
~同上書P106
決して未熟でもない、可憐なモーツァルト。
交響曲ヘ長調K.76(42a)第1楽章アレグロ・マエストーソの、いかにもモーツァルトらしい明朗な旋律美に僕は拝跪する。ここでもベーム指揮ベルリン・フィルの確固たる自信に裏付けられたアンサンブルに音楽が跳躍し、いかにも人間らしい響きのモーツァルトに、ベームのモーツァルトへの思い入れの確かさを思う。
モーツァルトの筆致は年齢を追う毎により充実したものに変化する。
紆余曲折を経て、結局は父レオポルトの作とされる「新ランバッハ」も並べて聴いてみると遜色は一つもない(当然か)。
その次にこの音型が登場するのは、彼が11歳のとき、ウィーンで書いた『交響曲変ロ長調』K45bの第1楽章である。ウィーン風の快活なアレグロのなかで、第2主題を提示するバスが控え目に「ジュピター音型」を奏でる。ほかの弦たちが疾走しているだけに、引き立つゲネラルバスとなっている。丁度『バスティアンとバスティアンヌ』K50を書く少し前で、少年ヴォルフガングの生きるよろこびが溢れている。
~同上書P106
第1楽章アレグロはもとより、第2楽章アンダンテに垣間見る哀感が美しい。愚直な職人カール・ベームの真骨頂。
ベームは生涯のあいだ指揮活動にのみ専念した。それ以外自分の人気を増すためのどんな手立も意図的に避けた。また作曲もしていたが、自分の演奏会で自作をとり上げたことは一度もない。公の場でピアノを弾いたことも、演出を買って出たことも、新しい音楽祭の企画の音頭をとったことも、指揮のマスターコースを引き受けたこともなかった。
~ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々—世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P285
音楽をすることの喜びこそがベームのすべてだったのだろうと思う。