Miles Davis:E.S.P.

音楽がまったく古びない、鮮烈な印象と勢いが耳に大変心地良い。
マイルス・デイヴィスの第2期黄金クインテットの録音はいずれも最高のパフォーマンスを記録する。

あらためて「M/D 下―マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究」を繙く。天才菊地成孔氏(+大谷能生氏)の奥深い考察に舌を巻く。

P18
リーダーの教祖性、メンバーの狂信性がともにきわめて低く、マイルス史上「帝王感」がもっとも低いグループだったのです。
なにしろ、「ちゃんと練習しろ。音が間違ってるぞ」という、おそらくリーダーになってから初めての叱責を、マイルスは20歳そこそこのトニー・ウィリアムスから受けたのです。これをマイルスは怒り狂うどころか真摯に受け止めました。そして、結成当初は先鋭的なメンバーだけで結託し、「おっさんのマイルスにはお手柔らかに行こう」という遠慮が続いていたなか、「なんでオレのソロのときには実験しないんだ。オレのときにも遠慮しないでガンガン来い」と受けて立ったマイルスの覇気によって、このバンドは年齢やキャリアを超えた、エリート・タレント集団としての強い連帯を見せ、それはマイルスの回春、若返りも意味したのです。

何と素晴らしい分析!1960年代後半の世の中の潮流と比較しながらこの時期のマイルスに起こっていたことを菊地氏は次のように指摘する。

P22
1960年代後半という時代は、第3次世界大戦の危機を回避した大統領が衆人環視の中で暗殺され、世界中に同時中継されるといった極端に不安で憂鬱な出来事によって始まった時代であり、アメリカのポピュラー文化全般にわたって、「怒り」や「反抗」といった表現が顕著になった時代です。(中略)
すべてのポピュラー音楽のなかで、もっとパーソナルかつアーティスティックだったモダン・ジャズも、例外ではありません。むしろ、ジャズにもともと含まれていた反体制の遺伝子は活性化され、ほかのジャンル以上にはっきりと「怒り」、「自由」、「プロテスト」といった名分でもって大暴れしはじめます。

P23
自我の内圧は人一倍、いや数百倍だったマイルスがここで作り上げた「怒りの表現」は、この4枚のスタジオ・アルバムにはっきりと刻印されており、それはこのように、戦慄的なまでの美しさとして具現化されています。

P34-P35
このスタジオ4部作の実質的な影の音楽監督はショーターだったともいえるのです。「影の」というとまるで暗躍したかのごときですが、ショーターは黙って楽曲をスタジオに持ってきては黙って自分だけの世界に入り込み、楽曲によって全員の音楽性を啓発/誘導する不思議な統率力/支配力を持っていました。(中略)
平等なラボに見えたこのバンドの唯一の抑圧構造が、こうしたマイルス/ショーターの魔術性だったのでしょう。

4部作の第1作目。

Miles Davis:E.S.P.(1965.1.20-22録音)

Personnel
Miles Davis (trumpet)
Wayne Shorter (tenor sax)
Tony Williams (drums)
Ronald Carter (bass)
Herb Hancock (piano)

極めて先鋭的で未来的な音。とても1965年に生み出されたとは思えない楽音。
ショーター作曲による1曲目タイトル曲からして確かにそれまでの「音」と違う。「音楽をする」という主観が抜けて、完成された客観性でもってただ「音楽」が鳴り響く。それを菊地氏は「魔術性」と表現したのかどうなのか、ともかく一部の隙もない完全な音楽が冒頭から繰り広げられるのである。
メンバーそれぞれの作曲能力の高さが顕著。ハービー・ハンコックの”Little One”など、同年に自身のリーダー作として録音した”Maiden Voyage”にも収録されており、聴き比べると面白い。マイルス・クインテットでは1プレーヤーとして機能し、あくまで音楽に奉仕する姿勢を崩さないのに対し、自身のクインテットにおいてはもっと遊びの要素を入れる。というより、過剰なまでの思い入れが音楽を一層粘着質にする。マイルス盤が日中に聴く音楽だとするならハンコック盤は夜更けの音楽だ。


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