シュミット=イッセルシュテット&北西ドイツ放送響のブラームス交響曲第3番を聴いて思ふ

brahms_3_schmidt-isserstedt_ndr009何年か前、ハンス・シュミット=イッセルシュテットの亡くなる1週間前の壮絶なブラームスの交響曲演奏を聴いて感激したことを書いた。ベルリン生まれのこの巨匠の音楽は、ドイツ精神に根差した正統なものでありながらどこか即物的で軽いものだという勝手な先入観があったから正直驚いた。
久しぶりに第3交響曲を聴いたが、秋めく今頃に相応しくない、何とも重厚かつ激烈で灼熱のような音楽が繰り広げられる。付録のハンガリー舞曲もフレーズごとに見事なテンポの移り変わりに富み、活き活きとした音楽が奏でられる。

気難し屋のブラームスの、感情が上下左右に振れる、そういう側面を表す解釈こそがこの人の作品を演奏する上で大事なのだとあらためて思った。

ブルックナーについてのブラームスの興味深い言葉がある。

彼は知らず知らずのうちに人を瞞すという病気にかかっている。それは、交響曲という病だ。あのピュトン(ギリシャ神話に出てくる大蛇)のような交響曲は、すっかりぶちまけるのに何年もかかるような、法螺から生まれたのだ。彼は、聖フロリアンの法衣をまとった乞食どもがやましく思うあわれな狂人である。
ジョゼ・ブリュイール著/本田脩訳「ブラームス」(白水社)P187

何という辛辣な、悪意たっぷりの評価であろうか。挙句に狂人扱いとはいかにブラームスの性格が曲がっていたかを示す。一方、同時期のものかどうかは定かでないが、ブラームスについてのブルックナーの言葉もある。

彼は、自分の仕事を非常によく心得ているが、思想の思想たるをもっていない。彼は冷血なプロテスタント気質の人間である。私のほうは、カトリックの燃えるような熱い血をもった人間だ。
~同上書P187

こちらは厳しいと言えば厳しいが、前提にあるのが信仰の問題。そしてコンプレックスの強い彼らしくあくまで自身と比較する。いかにもブルックナー的だ。
とはいえ、いずれにせよどちらの天才も偏屈であったことは間違いなかろう。
そのことにまつわるブラームスのもうひとつのエピソードがまた示唆的。

クララとブラームスの関係は、生涯を通じて枯淡の境地とはほど遠い、緊張に満ちたものだった。かなりの年齢になっても、微妙な感情によって一時的な苛立ちが引き起こされる。彼女はブラームスの最新作をまっさきに見ることに固執し続けた。彼は彼で、クララがすぐに返事を書かないと、「自分が送った手稿譜で煩わせている」と思い込んだ。
モニカ・シュテークマン著/玉川裕子訳「クララ・シューマン」(春秋社)P207

残念ながらヨハネスもクララも厳密な意味で「優しくなかった」のである。理由は、彼等の生い立ちをみれば自ずとわかる。母の愛を知らなかったのだ。
しかしながら、それであるがゆえに彼らの傑作が生まれたことも事実。ブラームスのどの作品にも垣間見える内向性は、母性を求めながら決して解放することの適わなかった精神の発露であり、それこそが聴く者の心を動かす源といえる。
ブラームスの音楽は平静を装いながら激しく揺れる。

ブラームス:
・交響曲第3番ヘ長調作品90(1969.2.4-5録音)
・ハンガリー舞曲集~(1954録音)
―第1番ト短調
―第2番ニ短調
―第3番ヘ長調
―第5番ト短調
―第6番ニ長調
―第7番イ長調
―第10番ヘ長調
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北西ドイツ放送交響楽団

そして、シュミット=イッセルシュテットのブラームスは激しい。決して「内燃」に収まらず、外にはみ出す気迫に溢れる。何というロマンティシズム。これこそが本質だ。

 

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