ツィマーマン&バーンスタインのブラームス協奏曲第1番を聴いて思ふ

brahms_concerto_1_zimerman_bernstein_vpo019ヨハネス・ブラームスの堅牢な様式に基づく諸作は、彼が愛する人々(例えば、アガーテ・フォン・ジーボルトやクララ・シューマン)のために生み出されたものだろう。彼は自身の感性の赴くままに楽想を広げ、同時に想いを寄せる女性のために作品を書いたのだ。そのため、男性的と表現して良いかの是非はともかくいずれも「知性」に溢れると同時に、女性的な瑞々しい感性に富んだ音調に支配され、晦渋でありながら美しい旋律が連綿と綴られるものが多い。
なるほど、男性的な力によって内へ内へと、いわば「牢(枠)」の中に閉じ込めながら、一方で外へ外へと飛翔しようとする女性的エネルギーの拮抗が、ブラームス独自の音響世界を創出しているのである。一見古典的なフォルムを持ちながら、常に革新性を感じさせるのは、そういうところにも理由がありそうだ。これぞブラームスの内燃の力である。

ゲーテは「色彩論」の中の、「科学方法論―省察と忍従」の項で次のように書く。

自然は神の中で永遠から永遠へと創造し活動をつづけているという観念を禁じえない。直感と考察と思索はわれわれをかの神秘に近づける。
ゲーテ著/木村直司訳「色彩論」(筑摩書房)P18

ブラームスの音楽はいわば自然の神秘をネタにしながらも、実に人間的な枠をはみ出すことのないあまりにヒューマンなものだ。ゲーテが言うように、どれほど「かの神秘」に近づこうとしても決してその隙間が埋まることはない。

同じく「科学方法論―種々の問題」の項では次のようにも。

自然に絶えず進行していく音響と、オクターヴの中に閉じ込められた平均律との比較。これによってほんらい初めて、自然に対抗する有力な高次の音楽が可能となる。
~同上書P26

まさにヨハネス・ブラームスの方法を言い当てる。ゲーテの色彩論にちなだわけではないが、イタリア旅行を好んだブラームスのことを友人であるヨーゼフ・ヴィトマンはこう書く。

イタリア旅行に付きあえという手紙にはいつでも、アマルフィのような静かな場所でボーッと過ごすという、固い決意が述べられていた。不眠不休のエネルギーをもつ彼も(ゲーテなみに)、移ろいゆく時間に向かって、「止まれ、君は美しい」と語りかけたかったのだ。しかし、このまっとうな意志を貫きとおすのは、困難だった。若いころから、すべての時間を仕事で埋め尽くすのが習い性で、つねに新たなエネルギーのはけ口を探し求めてきたのだ。
天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集③ブラームスと私」(音楽之友社)P127

せっかちなブラームスの介在意識と自然と共にゆっくりと祈りの時間を過そうと願うブラームスの潜在意識のぶつかり、そこにこそ彼の音楽の本懐がある。若き日の名作を聴く。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

30年来愛聴するこの音盤は、ブラームスの作品15の最右翼。晩年のバーンスタイン特有の粘着質の管弦楽に、僕は先の「女性性」を見出す。一方、いかにも端正な表情の独奏ピアノに、あの頃のツィマーマンが秘めていた毅然とした「男性性」を垣間見る。両性具有者レナード・バーンスタインが、まさに母性で青年ツィマーマンを包み込むという図式の屈指のブラームス。
第1楽章マエストーソ冒頭の管弦楽から他を圧倒し、管弦楽提示部直後のピアノの出の何という清らかさ。第2楽章アダージョの祈りの表情も冠絶。どの瞬間をとってもブラームスの(おそらく)クララへの愛に満ちる。そして、終楽章ロンドの軽快な足取りに一際愉悦を感じるのだが、素晴らしいのはコーダ。これはもう一介の音楽を超えた音楽だ。この部分はいつ何時聴いても心躍る。

 

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ツィマーマン ラトル指揮ベルリン・フィル ブラームス ピアノ協奏曲第1番(2003.9&2004.12録音) | アレグロ・コン・ブリオ へ返信する コメントをキャンセル

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