喪失感

人間は誰しも潜在的に「一体化」を求めている。しかし、「身体というもの」を持って生まれてきたがゆえ、コミュニケーションをとらないと人は深く交われない。フィジカルにもメンタルにも満足感を得るためにはお互いが「心を開いた」親和というエネルギーの循環をどうしても必要とするところが逆に人間の弱さなのかもしれない。

昨日、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観た。平日の午後だというのに若者で一杯だ。以前のTV版や映画版を何度か観ているので概略は理解しているつもりなのだが、どうも唐突に「つづく」となった感があり、欲求不満状態である。新解釈版なので今後の展開が楽しみではあるが、ひとつ言えるのが、人間の根底に流れる「喪失感」がテーマであるということだ。つまり、主人公・碇シンジの父親に対する「喪失感」を一つの軸にして物語が展開していくのである。

そして昨夜、先日亡くなったベルイマン監督の最後の作品「サラバンド」を観た。そもそもイングマール・ベルイマンの作品に共通しているテーマが「人間の不安と喪失感」。偶然観たのだが、こちらも親子、夫婦など家族のコミュニケーションレスによる「バラバラ感」とそれをいかに埋め合わせるかという「愛」がテーマ。

一昨日に観た同じくベルイマン監督作の「叫びとささやき」もやはり、姉妹、母子の「喪失感」から生じる「人間不信」という永遠のテーマが通奏低音として流れている。

この数日の間に観た3本の映画。いずれもが「喪失」と「一体化」という人間にとっての最大の課題がテーマとなっているのは偶然か必然か。

そうこう考えているうちにそれぞれの映画でJ.S.バッハの音楽が効果的に使用されているのに気がついた。どうもバッハの音楽は「人間の弱み」、つまり「喪失感」や「自己不信」を埋める大きな力、効用を持っているのではないだろうか。上記のベルイマン作の映画においてはいずれも無伴奏チェロ組曲第5 番の「サラバンド」が使用されているが、チェロという楽器の独特の音色がズシンと心に染み入り、信仰というものが他者に向けるものではなく、「自分自身の中にある神を見つめること」だということをあらためて感じさせてくれる。6曲からなるこの曲集は第1番で以前カザルス盤をとりあげているが、第5番に関してはミッシャ・マイスキー盤(新盤)がおすすめ。

ところで、前記映画「サラバンド」の中で、オルガニストのヘンリックが教会で弾いていた曲。

J.S.バッハ:トリオ・ソナタ第1番変ホ長調BWV525
カール・リヒター(オルガン)

バッハの器楽曲はどれもが人間の叡智を超えたところに存在する。とはいえ、それにすがってはならない。ただただ虚心に耳を傾け、自らの中にある答えを引き出すべきなのである。

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