カラヤン没して20年

R_strauss_metamorphosen_karajan.jpg僕が後悔するのは、結局、一度もカラヤンの実演に触れ得なかったこと。その昔、音楽雑誌の評論や巷の意見、すなわち周辺の「情報」だけにほとんど洗脳された状態でカラヤン芸術を一蹴し、音盤ですら聴き込むこともなく、まともに確認もしないまま、フルトヴェングラーやワルターなど物故した過去の巨匠の音楽の「虜」になっていた自分が今となっては恥ずかしい。よくよく考えると、僕が中学生の頃初めて購入したシンフォニーのLPはカラヤンがフィルハーモニア管弦楽団とEMIに録音したベートーヴェンの第5交響曲だった。それこそ擦り切れるほど何度も聴いた。少なくとも少年であった僕をベートーヴェンの世界に誘ってくれた最初の指揮者はかのカラヤンだったのだということをよもや忘れちゃいけないな。若気の至りということもあろうが、何にせよ身を持って体験もせず「情報」だけでブロックをかけることは慎まねば。

僕は最近、セミナーの中では、「巷に溢れる情報だけに左右されず、仕事でも何でも自分の目で見、自分の身体で感じた方が良いよ」と口角泡にして語っている。結果がプラスであれマイナスであれ、自分の身体で体感したものに関しては信頼度が高い。世の中「共感力」ということにうるさいが、体験のデータベースの量を増やさない限り、人への共感の度合いも伸びないわけだから。

そう、音楽に関して言うなら自分の目で見、耳で実際に聴き、確認しない限り、その芸術を云々することは基本的にやめたほうが良い(そもそもその資格はないのだ)。それに、例えばカラヤンにしても「ボロクソ」に批判する評論家もいれば、褒め称え絶賛する批評家もいるわけだし、音楽の鑑識眼などというのは結局その人のもつ「感性」の賜物であり、絶対的な基準なんてないのだ。聴いて、触れて、どう自分が感じるか。それが全てだろう。

最近は一層カラヤンの偉大さがいろんな意味で(音楽的にもビジネス的にも)身に染みる。特に、カラヤンのR.シュトラウスは完璧である。少なくとも晩年にドイツ・グラモフォンに遺した音盤の数々は、いまだに色褪せず、それどころか、シュトラウスを聴くならカラヤン盤でと声を大にして言いたいと思うほどなのだ。今日はその中から1枚。

R.シュトラウス:23人のソロ弦楽奏者のための習作「メタモルフォーゼン」、交響詩「死と変容」作品24
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

シュトラウスが荒廃した祖国のために服喪し、ベートーヴェンの「エロイカ」から第2楽章葬送行進曲のテーマをモチーフに1ヶ月で書き上げた「習作」と名のついたまさに鎮魂曲。1945年5月2日、ベルリンは陥落し、7日にはついにドイツが無条件降伏をした。ちょうどその頃、シュトラウスはこの「メタモルフォーゼン」を書き上げたが、さすがに初演できるような状況ではなく、結局1946年1月、パウル・ザッヒャーの指揮によりチューリヒ・トーンハレにてお披露目された。
カラヤンの棒で聴く「メタモルフォーゼン」は、ドイツ崩壊を追悼する作曲家の心を捉えるにはあまりに完璧すぎるとも言えようが、絹のような肌触りの弦の響きが心地よく、何度聴いてもため息が出るほどだ(何度も繰り返し聴くような音楽ではないのだが)。とにかく美しい。カップリングの「死と変容」も同じく。20年目の命日に聴くにはとても相応しい・・・。

ところで、ヤマカズ先生の札響とのベートーヴェン全集を購入した。まだ「エロイカ」しか聴けていないが、予想通りの代物だ。実演で触れてみたかった!


4 COMMENTS

ふみ

こんにちは。御無沙汰しております。
僕もカラヤンに対する批判の中で少なくとも3割の人は周りの情報や先入観に惑わされているのではと思います。自分自身、特にカラヤンは好きなわけではありませんが50年代60年代前半辺りまでは良かったと思います。というよりむしろ好きなくらいです。イタオペもそこまで聴く訳ではないですがカラヤンはやっぱり上手いなぁなんて思ってしまいますし、他にも浄夜やシュトラウスの一部、モーツァルトでさえたまにそう感じる時もあります。まぁ、まだまだ日本という国はトレンドや周りの情報やネームバリューに流され、実力のある演奏家は評価されない国なんだなってつくづく思います。

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雅之

おはようございます。
カラヤン論については方々で語り尽くされている感もありますが同感です。ただ、死後カラヤンだけが相変わらずもて囃され、ベームやヴァントが急速に忘れ去られてゆく現状は、寂しい限りです。
ヤマカズ先生の実演は何回も聴いたことがありますが、仕上げが雑で、私はそれほど好きな指揮者ではありませんでした。しかしご紹介の録音は面白そうですね。印象が変わるかもです。
ところで岡本さん、私は昨日知ったのですが、“ブラームス家の末裔”ヘルマ・サンダース=ブラームスという女性監督作品の、《クララ・シューマン 愛の協奏曲》という邦題の映画が近日公開されること、ご存じでしたか?私は妻と観る予定です。
http://clara-movie.com/pc/
サイトの写真で見る限り、クララ・シューマン役の女性は少しイメージが違うんですが、とても面白そうです。
私は、作曲家グスタフ・マーラーと、「究極のじゃじゃ馬ファム・ファタル」アルマ・マーラー、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC
建築家グロピウスの三角関係の方が何十倍も現代的テーマで興味があるのですが、こちらも新たに映画化されないですかねぇ?

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岡本 浩和

>ふみ君
おはよう。久しぶりです。
>特にカラヤンは好きなわけではありませんが50年代60年代前半辺りまでは良かったと思います。というよりむしろ好きなくらいです。
やっぱり、そう思う?そうだよね。
>まだまだ日本という国はトレンドや周りの情報やネームバリューに流され、実力のある演奏家は評価されない国なんだなってつくづく思います。
同感です。自分の「感覚」を信じなきゃね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
カラヤンの凄いところは、その亡くなったとも「取り沙汰」されるという事実だと思います。彼がもしそういうことまで「意図」して音楽ビジネスをやっていたとするならたいしたビジネス・センスですね、やっぱり。ベームもヴァントも良くも悪くも一マイスターなんでしょうね。確かに残念ではあります。
>《クララ・シューマン 愛の協奏曲》という邦題の映画
1年以上前に予告されてまして、その時は観なきゃと思いつつ、すっかり忘れてました。チェックありがとうございます。
マーラーの三角関係、ありきたりの脚本では納得いきませんが、誰かぶっ飛んだ監督に映画化してもらうと面白いかもです。
ところで、ヤマカズ先生の「ベートーヴェン」。昨日ブログを書いた後、第2&第4交響曲も聴いたのですが、確かに仕上げが雑とおっしゃる気持ちもわからなくないですね。3曲を聴いた限りでは、少々詰めの甘さを感じます。それでも命を懸けてベートーヴェンに与し、魂迸る演奏を繰り広げてられているという熱気は伝わってきます。実演では「さぞかし」と思わせる瞬間が多々あります。

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